ナンパは自傷行為…肌を触れ合い女性を消費する――生きている実感のために「声をかける」歪な心とは?
公開日:2017/10/7
「繋がる」―これは、ここ数年で最も頻繁に使われるようになった言葉のひとつではないかと思う。スマートフォンの普及とSNSやLINEを利用する人が大幅に増えたことによって、遠距離でも、深夜でも、クリックひとつで簡単に「繋がる」ことができるようになった。
しかしこの、コミュニケーション手段の著しい発達は、人と人との結びつきを、ゆるぎないものにしたのだろうか。答えはおそらく“NO”である。いわゆる「リア充」アピールはますますエスカレートし、“SNS上の”友達は、嫉妬や怒り、孤独を強く感じ、辟易としながらも、その思いとはうらはらに「いいね」ボタンを押す。そんな、笑顔で互いの頬を平手打ちしあうような茶番劇を、私たちはいつまで続けるのか。「繋がっている」という思いは、ただの幻想でしかないのだろうか。
『声をかける』(高石宏輔/晶文社)は、ロングセラー『あなたは、なぜ、つながれないのか ラポールと身体知』(春秋社)の著者の最新作だ。主人公の男性は、繁華街の街中やクラブで女性に「声をかける」。ナンパだ。会社員、美容部員、風俗嬢、大学院生、ダンサー…声をかける女性たちの服装、化粧、まとっている雰囲気などをつぶさに観察しながら「声をかける」。まるで、彼女たちが歌う歌にふさわしい伴奏をつけていくように。
■女性を消費する日々
僕は二十五歳だった。
それ以外はほとんど主人公の情報はない。六本木のクラブで、みぞおちの疼きを感じながら、少し年上の落ち着いた女性に声をかける。連絡先を交換し、日を改めて連絡し、会って食事、お酒、その後はふたりきりになれる空間で肌を触れ合う…そんな同じ流れを何人もの女性と繰り返す。無理そうな女性を落とすたびに主人公は妙な自信を身につけていき、女性を“消費”する日々を送るようになる。特別その女性が好きなのではなく、セックスだけが目的なわけでもない。ただ、声をかけずにはいられない。空虚な気持ちを抱いたまま、今日もまた、「声をかける」。
■ナンパは「自傷行為」
本書の中で繰り返される「ナンパは自傷」というフレーズ。自傷行為は一説には生きる実感欲しさゆえであるともいわれる。
好きでもない女性の性器を舐めるとき、僕は集中できる。どれだけ汚れているか、どういう臭いがあるかわからない場所に自分の舌をあてがう瞬間には自傷的な思い切りがある。なにか人間的な営みに取り組んでいるような気分になり、快楽がある。一方でそれが惨めだともわかっているから、その姿を見せつけるように、僕は立ったままの女性に跪いて舐めていた。
主人公はナンパした女性のひとりと生活を始める。彼女に対する拒絶と渇望、DV、そして別れ。物語の最後は希望の残り香を感じさせない。主人公はこれからどうしていくのか。どうしたいのか。
自分の心のドス黒い部分に何かを突き立てられたような読後感が重い。それでも、読まずにはいられない。これも一種の「自傷」なのだろうか。
文=銀 璃子