没後50年に蘇る!チェ・ゲバラと共に生きた若き日系人・フレディ前村を知る3冊の道標
公開日:2017/10/11
映画『エルネスト』の公開で、世界的な革命の戦士、チェ・ゲバラ(※)から、ファーストネーム「エルネスト」を授けられた若き日系人・フレディ前村ウルタードへの関心が高まっている。そこで、映画公開に合わせて発売された関連本3冊を、フレディ前村を知るための道標として紹介する。
※本名:エルネスト・ラファエル・ゲバラ=デラセルナ
映画『エルネスト』〈もう一人のゲバラ〉
脚本・監督:阪本順治
出演:オダギリジョー、永山絢斗、ホワン・ミゲル・バレロ・アコスタ、アレクシス・ディアス・デ・ビジェガスほか
配給:キノフィルムズ、木下グループ
2017年10月6日(金)TOHOシネマズ新宿ほか全国ロードショー
インタビュー:脚本・監督 阪本順治「日本でもフレディを知ってほしいとマリーさんは願っていました。」
2013年後半に別の映画の脚本の登場人物の一人に日系移民であるという背景を考えていました。そこでいろいろ調べていて、映画の原案となった本『チェ・ゲバラと共に戦ったある日系二世の生涯 革命に生きた侍』(※)に出会い、フレディ前村という人を知ったんです。当初の企画は頓挫しましたが、ゲバラも好きだったし、彼と一緒に戦死した日系人がいるというのは、僕にとって驚きでした。
やがて映画化の話になり、ボリビアを訪ねて、本を書かれた著者の一人であるフレディのお姉さんのマリーさんにご挨拶をして「本をもとに、フィクションですけれど映画化したい」と伝えたんです。
フレディ前村の存在は、日本ではまだ知られていなかったので、マリーさんは「映画を通じて弟を知ってもらうことは、とてもうれしい」とおっしゃって、映画化を素直に喜んでくださった。けれどその後、映画の完成前に亡くなられて……。本来は、できあがった映画を、一番見ていただきたい人でした。
本にありますが、亡くなった当時、フレディ前村はボリビアでは政府に歯向かった売国奴の扱いなので、家族もひどい弾圧を受けたんです。マリーさんは、家族が辛かったことも含めて、誰にも言えなかったフレディ前村の存在を文字で残したかったのだと思います。日本人の血を引いていますから、日本でもフレディ前村のことを知ってほしいとマリーさんは願っていました。
本や取材から感じた寡黙で誠実なフレディ前村と、主演のオダギリくんに、僕は近しいものを感じました。彼自身も、この時代に生まれたらフレディと同じことをした、と言う。フレディ前村を演じるのは、彼でなければできなかったと思います。
※『革命の侍―チェ・ゲバラの下で戦った日系ニ世フレディ前村の生涯』(2009年、長崎出版より刊行。2017年9月、改稿・改題しキノブックスより再刊)
さかもと・じゅんじ●1958年、大阪府生まれ。大学在学中より、映画制作の現場にスタッフとして参加。89年『どついたるねん』で監督デビュー。2000年、『顔』で日本アカデミー賞最優秀監督賞、毎日映画コンクール日本映画大賞・監督賞などを受賞。近作に『北のカナリアたち』(12年)、『人類資金』(13年)、『ジョーのあした―辰??一郎との20年―』(16年)、『団地』(16年)など。
道標1 原案本:より良い世界を求めてゲバラと共に戦ったフレディ前村の生涯
すべての始まりは、2006年、ボリビアでのフレディの遺族による原書の出版である。著者は、ゲリラの身内として長く迫害を受けていたフレディの姉、マリー前村ウルタードと、マリーの長男でフレディの甥、エクトル・ソラーレス前村。
フレディがゲバラと共に闘い、処刑されたのは半世紀前の1967年。その当時からフレディの遺族はゲリラの家族だと汚名を着せられ、いわれのない解雇・投獄・拷問・強奪などの抑圧や差別を受け続けていた。
それでも、姉のマリーをはじめとする遺族たちは、フレディの生き方を信じ、記録を書き溜めてきた。そしてついに、没後39年にして、フレディの人生を、膨大な傍証を辿って再現したドキュメンタリーとして出版することができたのだ。
利他的で、謙虚で、聡明だったフレディの少年時代は、姉マリーの思い出として、医学を学ぶためのキューバ・ハバナ大学留学時代は、共に過ごした仲間たちに取材を重ね、ボリビアでのゲリラ戦は、甥のエクトルがまとめている。
学友たちに「眼差しが優しく、落ち着いた声の物静かな青年で、物事を鋭く観察していた」と認識されていたフレディは、一貫して、すべての人々に平等を、という強い信念の持ち主だった。
映画では、オダギリジョーがフレディを見事に演じきった。映画と本書でその生き方を知ることで、あなたの世界を見る目も、昨日までとは変わるかもしれない。
フレディ前村ウルタード(戦士名:エルネスト・メディコ)
1941年10月18日、ボリビア・ベニ州都トゥリニダー生まれ。キューバの国立ハバナ大学医学部の奨学生として医学を学ぶが、ゲバラを指導者として、祖国ボリビア軍を相手にゲリラとなり、67年8月31日、25歳で処刑される。写真は16歳のフレディ。
次ページ<道標2 ノベライズ:ひたむきなフレディの人生の陰影を繊細に描き出した感動作>