「紙のマンガ」をテクノロジーで実現する――「全巻一冊 北斗の拳」を巡る深いお話

マンガ

公開日:2017/10/12

 米国のクラウドファンディング最大手となるプラットフォーム「Kickstarter(キックスターター)が9月13日に日本でもスタートした。約650の「ローンチプロジェクト」のうち、ひときわ注目を集めたのが、「全巻一冊 北斗の拳」だ。

 この端末を設計・開発中のプログレステクノロジー社で開発リーダーを務める小西享取締役に話を聞いた。

ぱっと見には電子書籍端末には見えない。だが一度開けば、読者はケンシロウと共に長い旅に出掛けることになる

 「全巻一冊 北斗の拳」はその名の通り、マンガ『北斗の拳』の全巻(究極版全18巻+特別読み切り「我が背に乗る者」)が1つの端末に収められるというもの。目標額300万円に対し、すでに2,000万円以上(記事執筆時)がファンディングされている。新たに翻訳を施した英語版も同梱されるとあって、日本のみならず世界中からプロジェクトへの賛同が寄せられているのだ。

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開発中の端末。右側に配置された地球ボタンを押すと、吹き出しの日本語と英語が切り替わる

 一見すると、分厚い紙のコミックのような外観だが、中を開くと電子ペーパーが2枚配置され、あたかも紙のマンガを読んでいるかのように見開きが再現される。(ネット上では、見開きが途切れてしまうことに対してツッコミもあったが、今後の課題として受け止めており、新たな機種を作っていく際にはサプライヤーであるEInk社にお願いもしていくとのこと。

 開発中の端末ではあるが、試用して驚かされるのはその鮮明さだ。「いま市販されている電子書籍端末は、文字を読むことに最適化されており、マンガの鮮明さは紙に及びません。『全巻一冊 北斗の拳』では、電子ペーパーは同様の部品を採用しながらも、徹底的にコントラストと鮮明さを高めるチューニングを施しています」と小西氏は話す。

開発中の「全巻一冊 北斗の拳」。足元の砂煙に注目

Kindle Paperwhite(第7世代)では、砂煙の表現がやや曖昧になっている

 マンガは繊細な線で情景が描かれる。紙の本では表現できていたものが、これまで電子ペーパーではその詳細が失われてしまうことがあった。一方、表示を詳細に行おうとすると、その分、表示の切り替えに時間が掛かってしまうのも電子ペーパーの悩ましいところ。マンガに特化したこのデバイスは、表示の精細さと切り替え速度の両立を図るべくチューニングを繰り返しており、取材時のデモでは画面の切り替えは「全巻一冊 北斗の拳」の方がわずかではあるが早く(Kindle Paperwhiteは0.6秒・全巻一冊 北斗の拳は0.55秒)行われていた。そのクオリティは「世界一のレベルのはず」と小西氏は胸を張る。

 しかし見開き表示や、表示の精細さといったギミックをウリにいわゆるガジェット好きに訴求するものではない、と小西氏は話す。

 「現在、電子書籍の市場は約2000億円規模。一方、紙の書籍の市場は縮小しながらもまだ約1.5兆円です。徐々に電子書籍への移行が進んでいるとはいえ、その割合はまだ小さく、急速な普及が進んでいるとは言えません。何がその障害になっているのか、と考えた時に、いまの電子書籍って『コンテンツ・ファースト』じゃないなと思ったんです」

紙の手触りを再現しながらも新素材を採用することで耐久性も追求したと話す小西氏

 電子書籍専用端末であっても、ネットにつないだり、オンライン決済の手続きがあったりと、その使い勝手は紙の本ほどシンプルではない。スマホやタブレットではより操作は複雑になるし、個人情報が詰まっていておいそれと他人に貸したりすることもできない。紙の本の手軽さをデジタル技術を用いながらもどう実現するか?――それを極めたのが「全巻一冊 北斗の拳」というわけだ。

 そのシンプルさの追求は徹底しており、デバイスは乾電池で駆動する。操作ボタンも現状では前後のページ送りと翻訳の3つしかなく、極めてシンプルだ。電子書籍専用端末のように目次やメモといった機能も存在しない。ガジェット好きには正直物足りないが、紙の本から電子書籍においそれとは移行できない、しかし相当なボリュームがある顧客層に響くはず、という。

「2万8000円の全巻マンガが、紙の本の倍の価格設定でもあるにもかかわらず、これだけのボリュームで売れる、ということをこのプロジェクトで示すことができました。『全巻一冊 北斗の拳』はマンガの新しい売り方を生みだしたのではないかと思います。この実績をもとに、他の作品にも展開していくつもりです」(小西氏)

 小西氏と本プロジェクトの設計・開発を行ったチーム『tsumikii』。社内に3Dプリンターや基板設計マシンが配置されたいわゆるファブ的なオフィスだった
今後のシリーズ展開が予想される「全巻一冊」。まだ開拓されていない市場をどのように切り拓いていくか注目していきたい。

取材・文=まつもとあつし