「分かる」ことの面白みとは? ピタゴラスイッチの生みの親と頭の中を解きほぐそう!
公開日:2017/10/16
四六時中私たちがお世話になっている(まさにこの文章を読んでいる最中にもお世話になっている)体内器官、それが脳であるということに対しては誰もがYESと言わざるをえない。わざわざそう書いたのは、今回ご紹介する『新しい分かり方』(佐藤雅彦/中央公論新社)が、「バザールでござーる」「だんご3兄弟」「ピタゴラスイッチ」など、シンプルで脳に訴えかけるコンテンツをつくってきた著者によって書かれているからです。
読者の皆さんが「分かった!」と最近思ったのはいつでしょうか。私は最近、同じようなものだろうと思っていたJPEGとPNGが全く別物であること、つまりJPEGとPNGを「分かつ」知識を人から教えてもらって、両者の違いを「分かる」ことができました。
脳は意識的に分かろうとする働きだけでなく、無意識下でも私たちの行動を支えています。「自分の中の出来事」という章で、文章を読むということの特徴に関してこんな例があげられています。
譬え、行換えしたとしても、みなさんはそこで切れてしまっているとは思わない。意識はまったくせずに一番下の文字と次の行の一番上の文字は繋がって読めている。あたりまえのことすぎて、ご自分がやっているそのことを私がこのように指摘したとしても何のことを言い出したのか訝しく思うほどかもしれない。
この記事に関しては、一番右で切れた文字が、下の行の一番左に繋がっている(私の力不足により途切れていないことを願います)こと、テレビゲームで左に消えたキャラクターが右から出てきても「そういうものだ」と思えることは、犬やネコには難しそうです。「そういうものだ」と自分で自分の頭のなかでつぶやくことは「分かる」ための重要な一歩なのでしょう。
一方で、ないものを勝手に想像することも脳の独特な機能の一つです。「分かると分からないの間」という章では、とんかつ屋と中華料理屋の前でどちらに入るか迷っているサラリーマン二人組がいて、店に入る前と出てきた後、そしてその間の二人の不在だけが示され、出てきた後にはどちらの店に入ったともとれるようなセリフをつぶやいているイラストが示されます。
どちらを選んだのかはわからないが、どちらかを選んだことははっきりしている
不足している箇所は私たちの想像に委ねられますが、この一言は私たちの人生にもたとえることができます。とんかつ屋を選んだとしても、現実には存在しない「とんかつ屋を選ばなかった人生」との比較なしに、その選択の真価は確かめられません。しかし、選び取られなかった無数の人生たちは消えてなくなってしまうのではなく、「分かる」ということの面白みに生まれ変わります。著者の目に留まったテレビ番組での、気象予報士のコメントを以ってそのことが説明されています。
旅行者やスポーツをやる方たちには、晴れはいい天気かもしれませんが、雨を望んでいる、農業をやっている方たちには、一概に、晴れはいい天気とは言えないんですね。だから、私たちは、明日はいい天気になるでしょうとは、言わないんです。
自分にとっての当たり前を疑う、インプットの秋。その基盤を固めるのにピッタリの一冊です。
文=神保慶政