日本語にしか表現しえない「せつなさ」のたゆたう物語――最新刊『星ちりばめたる旗』小手鞠るいインタビュ-

文芸・カルチャー

更新日:2021/6/2

『星ちりばめたる旗』(ポプラ社)

――本作は、幹三郎と佳乃が語る過去と、2人の孫であるジュンコが語る現在が交錯しながら進んでいきます。ジュンコは、どのように生まれたんですか。

小手鞠るい(以下、小手鞠) 過去と未来を繋ぎ、物語を大きく引っ張っていく人物として、幹三郎と佳乃と同じくらい初期から思いついてはいましたね。けれど、当時の資料をひもときながら造形していった2人とちがって、日系三世にあたるジュンコは、生まれも育ちも現代に生きるアメリカ人。離婚してシングルマザーとして働く姿も含め、私の周囲にも多いタイプなので、わりと書きやすかったです。

――娘たちには完璧なアメリカ人であることを望んだ母の望みに反し、日本人になりたいと切望していたジュンコは、自分だけが母に愛されていないという葛藤を抱えます。2人の確執も、物語を読み進めるためのひとつの鍵ですね。

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小手鞠 私自身が、母親からの無償の愛というものにやや懐疑的なところがあるんですよね。もちろん母というのは素晴らしい存在だと思いますが、すべての母がすべての子どもに無条件で愛を抱くのならば、虐待なんて起こるはずがないですし。

――ジュンコに対して姉が、「我が子に対する母の愛情は自己愛の裏返しで、たくさんの条件付きの愛」と語るシーンは印象的でした。

小手鞠 母親とはいえ、ひとりの人間。ジュンコの母も、幹三郎と佳乃から連なるたくさんの歴史を引き継いで今を生きている。遠ざけてきた過去が娘の姿にちらついたとき、どんなに愛していたとしても、むしろ愛しているからこそ疎ましくなることもあるだろうと思います。三世代にわたる母と娘の、複雑な感情の絡み合いも物語を通じてひもといていけたらと思いました。

――日本語を学んだジュンコは、好きな言葉に「せつない」という言葉をあげますね。「sad」でも「feel blue」でもない、英語では形容しがたい日本語特有の感情は、物語全体にたゆたっているような気がします。

小手鞠 そう言っていただけると嬉しいです。「せつなさ」というのは、白黒はっきりつけたがるアメリカ人の気質とはちがう、正解の見つからない感情ですよね。あることをきっかけにすれ違いはじめてしまった幹三郎と佳乃の想いが、やがてジュンコの母との確執につながっていく。戦争のせいで誰もが、願うようには生きられなくなり、理不尽な暴力にさらされていく。一筋縄ではいかない、なかなか正解の見つけられないものを、いかに物語として読者に提供していくかが小説を書く意義でありおもしろさなのだと、最近ようやく実感できてきたところです。

■人種差別の歴史を、ふたたび繰り返さないために

――アメリカで行われた白人至上主義者の集会で死者が出てしまったり、水原希子さんのCM起用をめぐってヘイト問題が浮上したり、人種差別問題が取り沙汰される今、本作は読まれるべき小説だと感じました。

小手鞠 不思議なもので、書きはじめた当初は、読者が日系移民について興味を持ってくれるだろうかと不安だったくらいなんですよね。ところが書いているうちに政権がトランプ氏に替わり、物語と時代がリンクしはじめた。それで思い出したのは、海燕新人賞を受賞したころ編集者に言われた言葉。「時代に合わせようと思って書いちゃいけない、書きたいことを書き続けていればいずれ時代が追いつくから、時間を味方につけなさい」と。その頃は、そんなことあるわけないと思っていたんですけれど、今は、本当だったのかもしれないと実感しています。流行りを狙って書くのではなく、私自身が書かねばと思って精魂を込めたからこそ、本作は「今」に寄り添うことができたのかな、と。

――幹三郎と佳乃から始まった三世代の物語は、同じ悲劇を二度と繰り返すことのないよう、読者に託された願いでもありますね。

小手鞠 人間の本質は悪であり誰も逃れられない、だから戦争もなくならない――と、『アップルソング』でも書きましたが、どうしても偏見や差別意識を抱いてしまう人間の“悪”を否定するのではなく、そういう自分たちを受け入れたうえで、理解しあう努力をしながら平和をめざしていけないだろうか、ということが本作でも書きたかったことなのだと思います。日本人を強制収容したアメリカ人だけが悪いわけじゃない。日本人だって、立場が変われば同じことをしてしまうかもしれない。だったら、そうならないために、私たちは何ができるのだろう、と。

――『星ちりばめたる旗』というタイトルには、寄り添いあってひとつになる人々への希望が映し出されているような気がします。

小手鞠 アメリカ国歌の日本語訳からいただいた言葉なんですが、私も、タイトルはこれしかないような気がしました。私たちの目にする星は、何万年も前に燃え尽きたものかもしれない。けれど儚さと同時に強いきらめきを放つ星は、一人ひとりの人生のようでもあるなと思うんです。いつ消えてしまうかわからないからこそ、一瞬一瞬を力強く生きていきたい。そんな思いが、幹三郎たちの人生を通じて、現代を生きる読者の心に届いてくれると嬉しいですね。

【前編はこちら】日本人であることが罪になる時代――人種差別の歴史を描き、現在に警鐘をならす小手鞠るいの最新刊『星ちりばめたる旗』

取材・文=立花もも 撮影=内海裕之