日本のクリスマスが「恋人のもの」になったのは、80年代の女性の願望だった!? 知られざるクリスマスの歴史
公開日:2017/10/20
日本におけるクリスマスの歴史は、案外古い。私のイメージでは高度経済成長期くらいから始まったのかと思っていたが、実際は明治時代から存在した。
『愛と狂瀾のメリークリスマス なぜ異教徒の祭典が日本化したのか(講談社現代新書)』(堀井憲一郎/講談社)は、知られざる日本のクリスマスの変遷をまとめた数少ない「日本クリスマス史」である。
記録で確認できる限り、日本初のクリスマス(降誕祭)は1552年に行われている。戦国時代だ。江戸時代となり、しばらく記録はないが、明治の文明開化と共に情報が入ってきて、信者周辺で行われるようになった(明治初期から日本人はクリスマスを「お祭り」のように考えていたらしく、真面目な日本人の信者から「クリスマスは静かに迎えなさい」という批判があったとか)。
キリスト教の信者ではないのに、あくまで「イベント」として日本人がクリスマスを楽しむようになったのは、1906年以降である。なにがきっかけだったかというと、日露戦争で日本がロシアに勝ったこと。大国ロシアに勝利したことで「西洋文化コンプレックスが軽減され、クリスマスを日本ふうに組み替えて取り入れていった」のだ。
「子ども向けイベント」から始まり、1930年代に入ると、「大人のための遊興クリスマス」の一面も出てくる。カフェー(喫茶店ではなく、女性の接待付き洋風飲み屋)やダンスホールで夜通し騒ぎ遊ぶ大人たちが現れてくるのだ。
1931年に満州事変が勃発し、それを後世、歴史の教科書で学ぶ私たちは、なんとなく「さぞや暗い時代だったのだろう」という印象を抱いているかもしれないが、満州事変が起こっても、日本の男女はクリスマスをダンスホールで踊りあかし、熱狂していた。
当時の新聞を追っていく限り、「クリスマス」の文字が完全に消えたのは、1940年。いよいよ戦争が本格化したのだろう。だが、終戦後すぐに、日本のクリスマスの「狂瀾」は再開される。
人々が繁華街に繰り出し、遊びまくるという乱痴気騒ぎのクリスマスは、1948年から1957年まで続く。その後、高度経済成長期を迎え、クリスマスは家庭で過ごすものへと変わっていき、明治期の「子どものためのイベント」に回帰していくのである。
では、現在の「クリスマスは恋人と過ごすもの」という概念は、いつからあったのだろうか。そのイメージの主導を握り、それを求めたのは、1970年から80年代にかけての若い女性だった。
それまでのクリスマス(1920~1960年代)は、「男が金を払って女性と楽しく過ごす日」だった。それが変化し、女性の意向が強く反映されるようになったのだ。
雑誌『アンアン』と『ノンノ』のクリスマス記事を見ていくと、70年代に「異国情緒あふれるロマンチックな日」という書かれ方がされ、80年代になると、いよいよ「恋人同士で過ごす日」を前面に押し出してくる。
その決定打として紹介されているのが1983年の『アンアン』。
「女性からしっかりとホテルのベッドで朝を迎えたい」「クリスマスイブに一緒に過ごしたい、それも彼の部屋ではなく、金をかけてきちんとしたホテルの部屋で」と要望する記事になっているとか。「クリスマスは恋人のイベント」は、恋愛を楽しみ、夢を見るこの時代の女性たちが作り出したものだった。
さて、ざっと本書のクリスマスの変遷を追ってみたが、こんなに長い間クリスマスが日本人の「楽しい日」として続いていることにもびっくりだし、「思っていたより明るい戦前」にも驚いている。
そしてこの、子ども向けのイベントから大人のバカ騒ぎの流れ。現在のハロウィンに似ているではないか。ハロウィンの本来の意味も知らず、夜中、渋谷や六本木でコスプレをして騒ぎまくっている若者は、かつてクリスマスに乱痴気騒ぎをした若者と同じなのである(時代は繰り返している……)。そう考えると、ハロウィンもいつしか恋人同士のロマンチックな日になるかもしれない。
本書はクリスマスの歴史を当時の新聞や雑誌から研究し、一冊のクリスマス歴史本としてまとめたものであるが、ただ史実を追っているだけではなく、そこに「考察」を加えているのが、実は本書の一番の読みどころだ。
そもそも、なぜ日本は西洋文化のクリスマスを受け入れたのか。なぜ、それがクリスマスだったのか。どうして本来の宗教的な意味を「敢えて無視して」「大騒ぎ」するのか。それは「キリスト教の教えを受け入れないという宣言」なのだという。
この辺りは、興味のある方はぜひ本書を読んでほしい。意外と奥が深い日本のクリスマスの歴史。面白い。
文=雨野裾