めくるめく現実も空想もジワジワと爆笑に! あなたを誘う”北大路公子ワールド”とは?
更新日:2017/11/3
庭先から、キンモクセイの香りも漂う頃ではあるが、改めて今年の夏を振り返ってみる。7月は札幌でなんと125年ぶりに4日連続の真夏日を記録し、全国的にも暑い日が続いた。しかし、8月の東京は一変。中旬まで雨と低温続きで、海やプールに繰り出す日が限られた。それなりに暑い日もあったけれど、あんな8月は、本来の東京の夏、じゃない。
『私のことはほっといてください』(北大路公子/PHP研究所)の著者は北海道在住のエッセイストである。数年前に上京し体験した東京の夏を“湯煎”に喩えている。ああ、そうだ。その文章に、東京のあのとろけるような蒸し暑さが思わず蘇ってくる。
誰かが巨大なビニール袋で東京を街ごと包み込み、そのまま湯煎にかけている。「誰か」が誰かというと、もちろん神様である。料理好きの神様が山も川もビルも家も犬も猫もあなたも私もすべてドロドロに溶かし、溶けきってどれがどれやらわからなくなったところで、お菓子か何かの材料にして食べてしまうつもりなのだ。
かつて、東京の夏をこのようにとらえた人物がいただろうか。さらにこの文章には、神様ならではの壮大な計画が続く。というか、この程度は“公子ワールド”の入り口にすぎない。
著者の紹介をもう少し。20代の頃に文芸誌の新人賞に輝き、大学卒業後にフリーライターの経験も。元々、ハンドルネーム「もへじ」として、祖母の介護の合間に両親やペットのこと、大好きなお酒、相撲など、日常を綴るブログが評判となり、エッセイを出版することに。今や脱力系エッセイストとして話題と爆笑をさらっている。複数の女優や作家がファンであることを公言する存在だ。
なぜ、著者が特に女性から、圧倒的な支持を得ているのだろうか? それは、どのエッセイの場面もはっきりと読み手に想像させ、的確な描写に言い回しも文学的。なのに、なぜか毎度、笑いの種も存在し、それはエッセイのゴールに向かい、間違いなく蒔かれているのだ。それで、ついつい顔をほころばせながら読み進めてしまう。読者が思いつかない妄想というか、想像が爆笑を誘い、紙面で繰り広げられる“公子劇場”に、どこか「わかる、わかる」と思わず共感する場面も多い。
今回のエッセイ集も、人妻界の秘密に触れたり、耳鼻科のあの長い金属棒に抵抗して「私は赤ちゃん象ではありません!」と心の叫びがあったり。また、真夜中に父と共に部屋にいる「あいつ」の口を塞ぐことに全力を傾けたかと思えば、フェイスブック上で起こった著者の“なりすまし”対策に必要な“友達”とのビミョーな関係を綴ったりもする。さらに、横綱昇進で注目されていた御贔屓の力士・稀勢の里が負けないように応援する方法も公開。ゆるゆるしながらも、次から次へとユニークな考察が、最後のエッセイまでノンストップだ。
なかでも「ひと夏の出会いと別れ」のエッセイは、寓話みたいだ。“登場人物”の河童と公子の交流をぜひ、見守ってほしい。
空想が始まると、引き込み方がとにかく見事なエッセイ。気づくと読者は、まんまと“公子ワールド”というレジャーランドの入場門を、うっかり通過している。そして、楽しいパレードかメリーゴーラウンドを眺めるように、軽やかに展開していくエッセイ集だ。夏が恋しいとき、笑いたいとき、ぜひ傍らに。
文=小林みさえ