プロレスファン必見!『プ女子百景』の広く。が、『2011年の棚橋弘至と中邑真輔』をマンガで激アツ書評!

スポーツ

公開日:2017/12/7

 女子高生やOLたちがプロレス技をかけあう『プ女子百景』や『プ女子百景 風林火山』で人気のイラストレーター・広く。が、数々のプロレスの名著を生み出してきた柳澤健の『2011年の棚橋弘至と中邑真輔』を読んだら――なんと、「新日本プロレス」を一般企業に譬えて、マンガで書評。その激アツな内容とは?

advertisement

 あまりにもカリスマな創業者が一線を退いたあと、後継者問題やお家騒動で有名企業がガタガタになるというのはよく聞く話です。

 『2011年の棚橋弘至と中邑真輔』(柳澤 健/文藝春秋)の中で描かれている2000年代の新日本プロレスも、カリスマすぎる創業者・アントニオ猪木さんの言動に振り回され揺れに揺れます。現役引退後も試合内容に口出しし介入し続ける創業者。2人の主人公、棚橋弘至選手と中邑真輔選手が奮闘する背後には常にアントニオ猪木という強大な影がつきまとっています。

 2000年代初頭にプロレスを見始めた自分は当時の新日本プロレスの雰囲気をリアルタイムで体感しています。その頃K-1やPRIDE等が世間で人気を集め、その流れを取り込もうとした猪木さんの意向で格闘技とプロレスを混ぜたような妙なカードがたびたび組まれていました。やっている当のレスラーも戸惑っているような試合。沸かない会場。ところが猪木さんが幕間にちょっと顔を出したとたんに場内は大歓声。「1、2、3、ダー!」だけやって帰る猪木さん。大喜びで唱和するまわりのおじさんたち。もちろんアントニオ猪木というレスラーがどれだけ偉大な存在であったのかは知っているつもりです。それでも、目の前の試合に満足できず、古き良き時代のプロレスの思い出もない新参ファンには腹立たしくも悲しい光景でした。

  そんな時代に離れていったファンを呼び戻すためにもがき続けていたのが若き日の棚橋弘至と中邑真輔でした。著者の柳澤 健さんは2人にのしかかる理不尽な出来事を当事者の証言も交え淡々と書き連ねています。そして、そんな事実の積み重ねにプロレスの核心を突くような一文を添えています。「プロレスラーがかぶる仮面は、常に半透明なのだ。」。

 23歳の若さで団体の威信を背負い総合格闘技のリングに上がる中邑が、どう準備し、誰に教えを請い、いかに精神を集中していったかの描写から伝わるピリピリとした緊張感。ファン投票で選ばれたはずの棚橋対中邑のシングルマッチが猪木の介入で台無しになり、冷える中邑の心。団体や自分自身の行きづまりから、真剣にアメリカ行きを考える棚橋の迷い。ブロック・レスナーとの王座戦が大会2日前にキャンセルとなったとき、それまでごく冷静に周囲の状況を見ていた棚橋が抱く激しい怒り。

 分厚い筋肉と派手なコスチュームをまといリングの上で非日常の世界を見せながら、同時に「自分自身の感情、喜びと悲しみと苦しみのすべてを表現する」のがプロレスラー。文中で描かれる2人への試練の大きさが逆に、半透明の仮面からのぞく素の感情を深いものにしています。

 上場企業の子会社となり猪木政権から脱したあとも、新日本には猪木さんの「プロレスは最強の格闘技である」というイデオロギーを示す「ストロングスタイル」という言葉の影響が残り続けます。棚橋選手は「ただの文字、幻」と全面否定。そんな棚橋にブーイングを浴びせるファンの目を、自分の信じた闘いを貫くことでだんだんと変えていきます。やがて団体、そしてジャンルの顔というかつて猪木さんのいた場所の近くに気づけば自身も立っているのです。逆にストロングスタイルを肯定した中邑選手は棚橋時代の新日で突き抜けられず苦悩します。しかしメキシコへの遠征がひとつのきっかけとなり、しなやかな動きやアーティスティックな感性を解放した今に続く「イヤァオ!」なスタイルを確立します。そして「自分でストロングスタイルの呪いを解い」た(棚橋談)中邑選手は「KING OF STRONG STYLE」の称号を引っさげ海の向こうへと旅立っていきます。

 対照的な道を歩んだ2人でしたが、共通しているのはピンチを環境のせいにはしない姿勢です。くさったり落ち込んだりの期間を最短で収めてサッと前を向き、お互いの浮き沈みを遺伝子の二重らせんのように絡ませながら2本の柱となって新日本を支えました。

 プロレスが男子の通過儀礼でありえた闘魂三銃士やUWFごろまでの新日本、オカダ・カズチカ選手や内藤哲也選手の活躍で勢いを増す今の新日本、そのはざまの10年に傷だらけになりながら最前線で闘い続けた2人のレスラーの軌跡を追える一冊です。

マンガ・文=広く。