「相撲は国技」に実態はない? これからの相撲界はどう変わるのか?【作家・星野智幸さんインタビュー 後編】
公開日:2017/12/22
力士時代の貴乃花に夢を託し、引退とともに相撲ファンを引退したのは、作家の星野智幸さんだ。2016年から17年にかけてのブログや書下ろしをまとめたエッセイ『のこった もう、相撲ファンを引退しない』(ころから)で、現在の土俵際で目にする景色の、数々の問題点を指摘している。そのうちのひとつが、「相撲は国技」論だ。しかしこの言葉には、実は実態がないという。現代の相撲の場に蔓延する「ジャパンファースト」の空気に大いに怒る星野さんの、インタビュー後編をお送りする。
■国技館ができて、国技と言われるようになった
「高橋秀実の『おすもうさん』(草思社)という本に、それまで自前の会場を持っていなかった大相撲が、明治期に両国に専用競技場を造った際、作家に命名を頼んだら『国技館』と名付けられ、以来国技とされるようになった、とあります。それまで相撲が国技と呼ばれていた記録はなく、いわば個人が考え出したニックネームのようなもので、実体はないんです。相撲自体はモンゴルから渡ってきたものだという認識は皆に共有されていますし、韓国など東アジアの各地で相撲はおこなわれています。国技論がある種の実体を持ち始めたのは、皇民化教育を進めるにあたり相撲が奨励されたことがきっかけなのだそうです。このような歴史があるにもかかわらず、オルタナティブファクト(いわゆる“もうひとつの真実”)を信じて『国技なのだから日本人を応援するのが当たり前』のような考えに陥っているのは、皇民化教育の名残が今もあるからかもしれません」
オルタナティブファクトを妄信することも危険だが、それ以上に危険なのは、その結果生まれた排外主義が蔓延していくことだと、星野さんは指摘する。
「たとえばサッカーなら、2014年に『Japanese only』の横断幕をサポーターが掲げましたが、その直後に無観客試合という厳しい処分を下しました。サッカーも選手への差別が横行していますが、同時に差別に抗う姿勢も強い。でもこれはサッカーのみならず、すべてのスポーツに要求されていることなんですね。相撲は伝統芸能かもしれませんがスポーツでもあり、その基準で考えたら、出自に基づく応援は差別に該当します。しかし相撲協会の中に『相撲は日本人のもの』と思ってる幹部がいるのか、外国人力士への差別をスルーしているフシがあります。スポーツは熱狂と一体化しやすいから、そこで起こった差別を野放しにすると、一般社会にも蔓延するおそれがあります。だから相撲協会はルールを設けて、悪い意味での熱狂を抑えるようにしていかないといけない」
■「好き」「かわいい」が相撲を救う?
この本は現役横綱が関係する事件と、ほぼ同じタイミングで出版された。しかし星野さんはそのことを、「全然うれしくない」と思っているそうだ。
「実は国技館から悪質なヤジがなくなり、安心して相撲を見ていられる日が来る予感がしていたんです。この本が出るタイミングではそんな世の中になっていて、だから『時期がずれちゃったけど、過去の記録として世に出せればいいかな』と思っていたのに……。とはいえ一体何が相撲の世界で起こっているのか。ひいては日本全体で何が起こっているのかを本の中で分析してますので、今なら相撲ファン以外でも、自分事として読めるのではないかと思います」
「相撲を安心して見ていられる日が来る」予感を持った理由を問うと、星野さんは「スー女(相撲好き女子)がいるから」と答えた。彼女たちは、「かわいい」「かっこいい」「好き」で力士を追っている。そこには「○○人だから」の意識は一切ない。白鵬も稀勢の里も宇良も鶴竜も、朝青龍でさえ「好き」だし「かわいい」から応援しているのだ。
「ある意味で韓流ファンに近いスー女たちには、貶め嫌うという否定的な意識は総じて希薄です。僕みたいなおじさんは戦術とか『あの力士は○○部屋で』といった人事的な見方をしてしまうけど、彼女たちは相撲に関わることはすべて堪能し、どん欲に愛そうとします。そしてヘイトデモに韓流ファンが怒りの声をあげたように、力士を国で分けて貶めたり排除したりする動きに、強く反発しています。今回の事件をきっかけに大相撲から離れる人はいると思いますが、スー女たちは残ります。なぜなら、相撲そのものを愛しているから。相撲に絶望もしていないし、『好き』を求めて観戦し続けるから。スー女のパワーによって、排外主義者が相撲の場から追い出される日が来るかもしれません」
そしてもうひとつは、外国人親方の存在だという。親方から改革を訴えないと、旧態依然の体質は変わらないと見ているからだ。
「だから白鵬には、この厳しい状況を乗り越えてほしい。そのためにも『うちらファンが守らなきゃ!』みたいな使命感は僕にもありますね」
同書には初めて文学賞に応募するつもりで書いた、25年前の未発表作も載っている。
「載せていいのかって気持ちもありましたが、最初に応募したのが相撲小説だったから、自分への落とし前を付ける気持ちで、恥をしのんで載せました(笑)。
かつてなぜあんなに貴乃花に心酔したのか。自分でも不思議ですが、スポーツは人生の辛いことを乗り越える力を与えてくれるんです。それが僕はたまたま相撲だったということ。だからこそ大好きな相撲を破壊する言動には、きちんと向き合いたかった。この本は僕の主観も相当入っているものの、相撲を大切に思っている人が見ているものと報道で伝えられるものには違いがあることを、わかっていただけたらと思います」
取材・文=碓井連太郎