性風俗世界を生きる「おんなのこ」の実態は…フィールドワークで見出した真実

社会

公開日:2017/12/31

『性風俗世界を生きる「おんなのこ」のエスノグラフィ――SM・関係性・「自己」がつむぐもの』(熊田陽子/明石書店)

 日本の都市では必ずといっていいほど性風俗の店舗が見られる。もはや性風俗は都市の日常の一部ではあるが、その実態はあまり知られていない。性的サービスを仕事とする「おんなのこ」たちの境遇や人生について書かれたノンフィクションこそ多いものの、彼女たちの「気持ち」を客観的に分析した文章は少ないのではないだろうか。

『性風俗世界を生きる「おんなのこ」のエスノグラフィ――SM・関係性・「自己」がつむぐもの』(熊田陽子/明石書店)は「おんなのこ」たちとの交流を通じ、彼女たちが客や社会とどのように関わっているのかを解き明かしていく意欲的な研究報告である。テーマを聞いただけでは「ありがちな本」と思う人もいるだろう。しかし、本書が特異なのは2点ある。文化人類学的見地から「おんなのこ」を語っていることと、著者がフィールドワークという形で実際に風俗店の中で働き、「おんなのこ」の生の声に接していたことだ。

 著者はカナダ留学中、ゲスト・スピーカーとして招かれた元高級コールガールの話を聞いて衝撃を受ける。爽やかで知的な彼女は著者にあった「売春する人」のイメージを一掃した。そして、もともと世間が決めつける「善」や「悪」への違和感があった著者は、性風俗に焦点をあてて研究しようと決意した。

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 著者がスタッフとして採用されたのは東京都市部にあるデリバリーヘルスY店。SM的なこともできるのが売りだが、決してSM専門店ではない。経営者にフィールドワークの目的を伝えたうえで、著者は受付スタッフとして43人もの「おんなのこ」たちと関わるようになる。研究期間は実に7年にも及んだ。

「おんなのこ」たちとの他愛もない会話が研究のヒントになる。著者は「おんなのこ」たちの行動に「遊び」「ゲーム」「笑い」という重要なポイントを見つけていく。「遊び」とは当然、客が風俗店を利用する行為を指す。しかし、同時に「おんなのこ」も客との時間を「遊び」と捉えている。「遊び」である以上、「お金を払っているから」「SMプレイでいえば客がSの立場だから」といって、客が「おんなのこ」の優位に立つわけではない。いわば、「SMごっこ」を限られた時間の中で楽しむという点で、客と「おんなのこ」は協力関係にあるのだ。

 客との関係が「遊び」なら、「おんなのこ」同士の関係は「ゲーム」である。「おんなのこ」たちは誰が店内でより多くリピーター客を確保し、売上を伸ばせるかという「ゲーム」を競っている。しかし、「ゲーム」への参加方法もさまざまだという報告が興味深い。「優子さん(仮名)」は客の要求を完璧にこなして人気を得ようとしているのに対し、「桃さん(仮名)」は「自分にはできない」と客の要求を拒むこともまた、客の興奮を煽ると理解していた。こうした差異は「おんなのこ」同士がライバル関係にあり、相手を出し抜こうとするがゆえの工夫なのだろうか? しかし、著者は別の見方も提示する。

(前略)差異があるからこそ、「おんなのこ」個人が個人として成り立つのであり、差異こそが「おんなのこ」をむしろつないでいるともいえるだろう。

 こうした先入観から離れた見方はフィールドワークの賜物だろう。また、著者は「おんなのこ」たちが頻繁に笑うことについても言及する。彼女たちは嫌な客から、本来なら怒るべき扱いをされても「笑い」に換えて著者に話す。道化が王を笑うように、「笑い」は客との主従関係を維持したまま、優劣を転換させる装置として機能しているのだ。

 フィールドワークで得た「遊び」「ゲーム」「笑い」というヒントをもとに、「おんなのこ」の都市的な自己のあり方を解き明かしていく終盤の展開は圧巻である。本書は凝り固まった価値観でネガティブに評価されがちな性風俗という世界に、公正で斬新な視点を示してくれる。

文=石塚就一