現代の正月の過ごし方の歴史は意外なほど浅かった!
公開日:2018/1/1
突然だが、人間社会には多くの行事がある。日本のものでは、正月、節分、お盆といったメジャーなものから、地域固有のものまでその幅はとても広い。いわゆる年中行事については、多くの民俗学者がさまざまな定義を唱えている。
柳田国男(「年中行事」) 「特に定まつた或日のみは、子供が指折つて早くから待ち暮し、親はその為に身の疲れもいとはず、何くれと前からの用意をして四隣郷党一様に、和やかにその一日を送らうとする。是が今日謂ふところの民間の年中行事であつた」(柳田〔1999:139〕)。
折口信夫(「年中行事―民間行事傳承の研究―」) 「日本の年中行事に、通じて見られる根本の論理は、繰り返しと言ふ事であつて、民間の行事・風習には、何事によらず、繰り返す事が多い。春やつた事を、夏・秋といふ風に繰り返して行ふのである」(折口〔1967:54〕)。
『年中行事の民俗学』(谷口貢 板橋春夫 編著/八千代出版)では、さまざまな年中行事について、その本来の意義を民俗学的な面から説明している。
日本では、多くの人が行うであろう行事のひとつが初詣だ。だが「なぜ初詣を行うのか」、また「初詣はいつ頃から行われている習俗なのか」という問いに答えられる人は果たしてどれくらい居るだろうか。結論から言えば、初詣とは江戸時代の恵方参りが由来である。恵方とは新年に年神がやって来る方向を指す。ちなみに、年神とは新年に各家を巡って福を運んできてくれる神様のことである。恵方は毎年変わるが、人は暦でそれを知ることができる。
かつての正月の過ごし方は、その恵方に向けて神棚を飾り、家に籠って静かに過ごすというものだった。ところが、江戸の人びとは、恵方にある神仏に参詣することで家内安全や豊穣のご利益を得ようとした。つまり、年神の訪れをただ待つのではなく、自分達の方から神仏のもとに出向こうと考えたのだ。これが恵方参り――初詣の起源とされる。
尚、恵方参りは現代の初詣のように必ずしも元旦に行うものではなく、寺社の最初の縁日に行うことが多かったらしい。この恵方参りは、江戸時代の後期から明治初年の頃に大流行し、明治以降の交通革命も相まって現代のような初詣の形になった。日本の伝統というイメージも強いだろう初詣だが、実はその形が整ったのは明治時代……つまり意外と最近なのだ。
ちなみに、初詣と同じく正月の習俗である初日の出を拝む習慣は、こちらも江戸時代(18世紀後半)に江戸遊民の物見遊山から起こったものだそうだ。その後、江戸の庶民達の間で日の出を待つことがブームになり、近代以降に入って日の出をおめでたいものとする価値観が広まった。その背景には、日本が極東の国(昇る太陽に最も近い国)であること、国旗が日の丸であること、太陽暦を用いることなどがあったという。初詣も初日の出を「ありがたい」と思うことも、その歴史は精々江戸時代までしか遡れない。とは言え、それでも100年以上続いている習俗であることには違いない。江戸時代の人も我々と同じく、神仏に加護を求め、日の出をありがたいとする感覚を持っていたと思うと、文化継承の力を感じることができるとは思わないだろうか。
ここで地域固有の行事も見てみよう。例えば沖縄では、地域に伝わる多くの芸能を楽しむ行事(現地の言葉でアシビ)がある。その中には中国由来のものもあり、獅子(シーシ)・打花鼓(ターファークー)などがそれだ。また、沖縄本島南部のある町では唐人行列(トーンチュジュネーイ)と大和人行列(ヤマトンチュジュネーイ)というものが伝承されており、これは旧暦の8月15日の十五夜祭りの昼の部で披露される。
起源の詳細は不明だが、かつて琉球(沖縄の旧国名)に来た唐人と大和人の使節の行列を見よう見まねで行うようになったことが始まりだと考えられている。これらは戦前には中断していたが、昭和52年に復活を果たし、今日まで続いている。沖縄には他にも多くの年中行事が毎月行われており、1月と12月が特に多い。沖縄のように今でも多くの行事が行われる土地は今や珍しいかもしれないが、自分の土地でかつて行われていた(或いは今も行われている)行事を調べてみると案外楽しいかもしれない。
文=柚兎