「二世信者」として育てられた女性が語ったあの頃…「異常だったけれど母のことを否定するつもりはない」――衝撃作『よく宗教勧誘に来る人の家に生まれた子の話』著者インタビュー

マンガ

更新日:2019/2/28

■「宗教」の片鱗はいまだに残っているが……

 本作でも描かれているが、母親の宗教に縛られているいしいさんの救いとなったのが、祖父の存在だった。「集会」の日に彼女を遊びに連れ出すなど、なにかと気にかけてくれたのだ。

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(C)いしいさや/講談社

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(C)いしいさや/講談社

「父も無宗教派だったんですが、母のすることにノータッチだったんです。だからこそ、助け出そうとしてくれた祖父には感謝の気持ちでいっぱいですね。唯一の心残りは、祖父のお葬式のときに、宗教上の理由でお焼香ができなかったこと。ちゃんと見送ることができなかったんです……」

 愛する祖父のお葬式で、お焼香をしてあげられない。こういった異常な状況が一つひとつ積み重なり、いしいさんに大きな決断をさせた。それが宗教からの離脱だ。そして、大人になったいしいさんは過去のトラウマに苦しめられながらも、自分の人生をゆっくりと歩み始めている。

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「大変なことも多かったですし、当時のことはやっぱり異常だったと思いますけど、それでも母のことを否定するつもりはないんです。宗教を信じることで、母自身はとても幸せそうでした」

 ともに信仰すること。それは母親としての愛情の一種だったのだろう。子どもの幸せを願い、厳しい教えにも耐え、ときには罰を与える。そんな母親のことを理解していたからこそ、いしいさんもギリギリまで耐え抜いたのだ。

「だけど、選択の余地がない子どもには、なにか逃げ道のようなものが必要だと思うんです。信仰を迫られている子どもって、『誰に言ってもわかってもらえないだろう』と不満や苦しさを抱え込んじゃう。それがなによりもツラいんです。だから、本作を通じて、『同じ思いをした人がいる』『自分はひとりじゃない』ということを感じてもらいたいと思っています」

 現在、駆け出しのマンガ家として、そしてごく普通のひとりの女性として人生を楽しんでいるいしいさん。母親との関係も良好でなにも心配はなさそうだが、やはり時折、宗教に苦しめられていた頃の片鱗が顔を覗かせるという。

「異性との交際を固く禁じられていたので、いまだに恋愛の楽しみ方がわからないんです。デートに誘われても、外に遊びに行くこと自体が怖くて。結局、それでうまくいかなくなってしまうことも多いんです。宗教の影響なんでしょうね……。だけど、自分の中にまだその片鱗が残っていると気づくことで、少しずつ変えていけるはず。だから、きっと将来的には恋愛も楽しめるようになっていると思います」

 そう、いしいさんはまだ宗教に縛られていた頃の自分と戦っているのだ。その戦いは、「マンガにして表現していく」という手法で続いていくのだろう。本作は続刊も予定している。

「幼少期のエピソードで描いていないことがまだまだたくさんあるんです。まずはそれらを描き切りたい。そして、そんな体験をした少女がどんな大人になったのか、いつかはそれも描きたいと思っています」

 本作を通していしいさんが描きたかったのは、宗教を断罪することではない。彼女が訴えかけたいのは、「子どもに選択をさせる」「自由を尊重する」ということだ。それはなにも宗教に限った話ではないだろう。たとえば、子どもの将来もそう。家柄や体面を気にして、それを勝手に決めてしまう親は少なくない。けれど、それで果たして本当に幸せになれるのか。幸せというものは、子どもが自ら取捨選択していくことではないだろうか。

 本作では、「宗教」というフィルターを通し、親のエゴや子どもの自由について描いている。そして、それは誰もが本作の主人公やその母親になり得ることを示唆している。そう、本作の物語は決して他人事ではないのだ。

取材・文=五十嵐 大

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