マイナスの感情に振り回されがちなら…2018年は心を調える“禅”の習慣を取り入れよう!

暮らし

更新日:2018/1/29

『お坊さんにならう こころが調う 朝・昼・夜の習慣』(平井正修/ディスカヴァー・トゥエンティワン)

 年末に友人と、ふるさと納税について話していたときのこと。私は義実家に伊勢海老を送るか、自宅でA5和牛を楽しむかで迷っていたのだが、友人は「滝行一日体験」なるものを申し込むことにしたらしい。滝行、白装束を着てお経を唱えながら滝に打たれるアレのことだ。

 滝行の彼女しかり、2017年は“捨てること”“断つこと”を意識した話が多かったように思う。「断食道場に行ってきた」という人もいれば、私自身も“メディア断食”をやろうと決意した(…が、誘惑に勝てない日々が続いている)。

 モノや情報があふれる時代だからこそ、「無い」状態に対価が発生したりする。「無い」時代を必死に生きたご先祖様が見たら呆れるような話だが、スティーブ・ジョブズをはじめ、時代を先行く人や企業が“禅-ZEN-”のエッセンスを取り入れる背景には、エリートもお金持ちも、みな同様に「あり過ぎ」に不安を感じていることがあるのかもしれない。

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 そこで2018年はぜひ、日々の暮らしに“禅”のマインドを取り入れてはいかがだろうか。『お坊さんにならう こころが調う 朝・昼・夜の習慣』(平井正修/ディスカヴァー・トゥエンティワン)を参考に「お坊さんって毎日どんなふうに過ごしているの?」という基本的なところから学んでみたいと思う。

■「人間、余裕が出ると余計なことしかしない」。
“Just Do it.”=“とにかくやれ”が修行僧の基本

 本書で禅について教えてくれるのは、臨済宗国泰寺派・全生庵七代目住職の平井正修氏。日本史で「禅宗=臨済宗と曹洞宗」と覚えた人も多いだろうが、全生庵は安倍首相や中曽根元首相も参禅に訪れる由緒あるお寺だ。

 そんな平井住職が修行僧のころ、日々のルーティンはとにかく徹底的に急かされたという。朝は起床したらすぐに布団を上げて、手洗い、洗顔をすませ、衣を着て禅堂に座るまで、その間、10分もかからないほど。

「人間は余裕が出ると、余計なことしかしません。お金や時間のことを考えるとわかるでしょう。だから、まずはすごくギリギリで、『急げ、急げ』という生活を送らせるのです」

 布団上げや手洗いなど、どうせしなければいけないことは、ぐずぐずしないですぐにやる。朝の行動のうち、その部分を意識して変えるだけでも、一日の暮らし方に変化が出てくるのだとか。「本当は意味があることを、何も考えずに、あたりまえのように行う――それこそが禅に通じる習慣の考え方なのです」。

【お坊さんにならう“朝”の習慣】
起きたらすぐに布団を上げる
(朝のルーティンを何も考えずせっせとこなす)

■朝は粥、昼は一汁一菜、夕食は本来とらないのが修行僧の食事

 修行僧の食事はとにかく質素。朝はお粥とたくあんのみ、昼はご飯、汁物、野菜のおかずの一汁一菜。夕食に至っては、そもそもとらないのが仏教の基本。それが、教えが広まり、修行僧の数が増え、作務(労働)の必要が出てきたことをきっかけに食べるようになったのだとか。

 働いて食べないのでは身体が持たないから、身体を養うために食事をとる。その意味で夕食は「薬石(やくせき)」と呼んだりもするらしい。病気にならないように食べる、薬のようなものという意味だ。

 薬なのだからうまい・まずいもなく、夕食は朝昼の残りを雑炊にして食べるだけ。道場では食材も、基本的に托鉢でいただいたものと自分たちで作ったものだけなので、タケノコの季節は朝・昼・晩、毎日タケノコ料理が続くという。栄養バランスなどどこ吹く風だ。

 冷蔵庫があり、コンビニがある今の日本で「飢え」を感じることは難しいが、「飢え」こそが本来の自然な姿。空腹の時間を作ることで、当たり前のように思っていた食事が待ち遠しくなり、毎食「有り難い」という気持ちでいただけるようになるのだとか。

【お坊さんにならう“食”の習慣】
あえて空腹の時間を作ってみる
(食欲という「欲」と向き合う)

 本書では他にも、日々の生活に取り入れたい“禅”の習慣を多数紹介。2018年、余計な感情や情報に惑わされず、自分という人間を見つめ直すきっかけに、ぜひ“禅”の習慣を始めてみてはいかがだろうか。

文=八巻奈緒