うつ、災害、テロ――江戸時代の人々は病とどう向き合ったのか?
公開日:2018/1/17
うつ状態の同僚の欠勤・早退がつづいたために、彼のフォローをするべく職場で勤務体制の見直しが図られた――現代の話ではない、江戸時代のとある職務記録に綴られていたできごとだ。現代を生きるわたしたちの身近にあるさまざまな「病」は、江戸時代にはどのように向き合われていたのか。これが『病とむきあう江戸時代 ――外患・酒と肉食・うつと心中・出産・災害・テロ』(岩下哲典/北樹出版)の主題である。
史学科教授である著者は、職務記録や紀行、書簡など豊富な史料をもとにユニークなエピソードを紹介する。冒頭のうつ状態のくだりは、本書を代表するエピソードのひとつだ。
江戸時代には“うつ”という言葉が普及していなかったため、本書で参照される職務記録には“気分不快引籠”と表現されていたという。具体的には“塞ぎ込んで引きこもり、家の外に出たくない、人と会うことができない”(p.84)などの症状であるから、現代でいわれる“うつ状態”と共通するところはかなりあるだろう。
“うつ”なる言葉がようやく市民権を得た今日でも、職場や学校などで“うつ”をめぐるトラブルや無理解に直面することは残念ながらある。いわんや江戸時代をや……と思いきや、である。本書で紹介される尾張藩の小納戸(こなんど)という職場では、上司や同僚の理解のもと、うつの藩士が無理なく勤務できるようしっかりと配慮されていたというのだから驚いた。
当人のうつ状態の一進一退や、周囲の手厚い支援については、ぜひ本書で確かめてほしい。かいつまんでみると、うつ状態を理由にした欠勤・早退の容認と同僚によるフォロー、なるべく負担にならない仕事の割りあて、転地療養を目的にした転勤……これだけのサポートを、藩当局ぐるみでおこなっていたのだという。けっして現代はだめ、昔はすばらしいなどと懐古主義を叫ぶつもりはないが、いつの時代でも、病と向き合うためには周囲の人々の理解と支援が欠かせないことを痛感する。
本書ではうつの他に、副題にあるとおり外患、酒と肉食、心中と出産、そして災害、テロなどについて、江戸時代の人々がいかに向き合っていたかを明らかにしている。とくに藩主や藩医、藩士など、高い社会的地位の人々に注目している点も特色のひとつだろう。震災が多いのは自分の不徳ゆえと真っ先に被災者に見舞いの使者を出した藩主、戊辰戦争で敗北した会津藩主の側室の出産に人道的配慮をおこなった新政府側担当官など――史料に名を残した人々や、その周囲にいた“名もなき人々”によるつみかさねの先に、いまのわたしたちの生活や医療制度があるのだ。
本書から学べるのは、先人と病の関係だけではない。
バラ色の歴史をみるだけでは、物事の本質はみえてこない。よく「歴史認識」というが、史料批判に耐えうる当時の史料に依拠して事実、つまり史実を確定し、そのうえで合理的に歴史を解釈すべきであって、「こうあったらいいな」とか「こうあるべきだ」という思い込みのうえに解釈してはならない。(p.181)
これはテロの章からの引用だ。幕末の異人切りは、浪人による報復や民衆による復讐といわれることが多い。しかし史料をよく読むと、そのような組織的な主義主張のもとでなされたというより、むしろ “幕府を窮地に陥れる”“日頃の鬱憤を晴らす”“刀の試し切り”などの動機から、警備の薄い外国人がたまたま狙われたのではないかという解釈ができるのだという。このような解釈を丁寧に述べたあとで、上記の引用部分が力強く主張される。
著者の主張は、史料だけでなく現代のニュースにもあてはまるだろう。歴史物語から、現代のニュースから、何を感じとり何を学ぶかは確かに個人の自由だ。ただし「こうあってほしい」という願望だけで事実を曲解することは避けなければいけないだろう。
最後にひとつ補足を。歴史上の人物のユニークなふるまいにお腹を抱えるシーンがあるのも、本書の魅力だ。藩医の公務出張の記録を通して、当時の出張のありかたや飲酒、肉食とのつきあいかたを考える章では、何かと理由をつけて毎日のように飲酒する藩医につい笑ってしまう。別の章ではかの有名な伊達政宗がお酒で失敗したあとに出した書簡も紹介されており、現在流布しているイメージと異なる気弱さが印象深い。実にさまざまな楽しみ方ができる1冊、ぜひ手にとってみてほしい。
文=市村しるこ