夏目漱石は女性関係も“まじめ”だった! あの文豪たちの女遍歴は…

文芸・カルチャー

公開日:2018/1/26

『文豪の女遍歴』(小谷野敦/幻冬舎)

「しかし……しかし君、恋は罪悪ですよ」「私はね、心に一つ秘密がある」――文豪がつづる恋や愛の様相は、ときに共感から、ときに鮮烈さから、わたしたちの感情をひどく揺さぶる。恋愛をめぐる名文に出会ったとき、こう思った人は少なくないだろう。どうしてこのような文章が生まれてくるのだろうか、もしかして文豪たち自身の恋愛経験からみちびかれた真実なのではないだろうか、と。そんな人におすすめなのが『文豪の女遍歴』(小谷野敦/幻冬舎)だ。

 本書で紹介されるのは、近代文学の作家60名ほどの恋愛遍歴である。夏目漱石や森鴎外といった幕末生まれの作家から、芥川龍之介、泉鏡花、谷崎潤一郎ら明治生まれの作家、さらには島尾敏雄、吉行淳之介、安部公房、澁澤龍彦に開高健といった大正から昭和生まれの作家までが網羅されている。

 60名というとかなりのボリュームを覚悟するかもしれないが、そこは比較文学研究や作家評伝で名高い著者の技が光る。作家ひとりにつき数ページというコンパクトさで、切れ味良い文体をもって彼らの悲喜こもごもが紹介されており、すいすいと読めてしまう。事実関係のまとめだけでなく、研究者のあいだで議論される諸説までを見渡し著者の見解が述べられているため、読み応えある1冊だ。本書を入門編にして、お気に入りの作家の評伝や研究書に手を伸ばしてみるのもよいだろう。

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 たとえば夏目漱石。自然主義文学の隆盛のなか“まじめ”な作品を貫いた彼は、やはり女性関係も“まじめ”だったようだ。結婚は一度きり、妻以外の女性とはまったく遊ばなかったというのが著者の結論である。『こゝろ』『草枕』のような恋愛小説的な作品もあるが、著者はそこから女性嫌悪の空気さえ読みとる。

 一方でなかなか印象的な恋愛っぷりをみせてくれる作家もいる。師弟関係にあった女学生が恋人をつくったというので追い出したあと、彼女が残した蒲団と夜着にくるまって「なつかしい油の匂いと汗のにおい」をかいで泣いた――田山花袋『蒲団』のエピソードが事実にもとづいていることは有名だろう。

『出家とその弟子』をはじめとする宗教文学で知られる倉田百三もこれまたすごい。京都に住む17歳少女から手紙をもらったことをきっかけに彼女と親交を深めていくのだが、キスをするまでに至ると、いっそう熱烈な文章を送るようになったらしい。

「私の舌はあなたの可愛い、鋭い糸切歯を痛い、甘い感覚で覚えてしまいました」
「あなたとはどうしても夫婦としか思えなくなりました。あなたは法の妻。直子は世の妻です」

 このとき倉田氏は結婚しており、“直子”とは妻の名である。浮気相手にこのような濃い文章を捧げるだけでなく、愛の証として“聖所の毛”を送るよう要求したというのだからなんともはや、である。

 しかしこのような濃厚な恋愛遍歴が下地となり、わたしたちの心を震わせる名作が紡がれていったことも確かだろう。ちょっとまじめにいってみるなら、作家の恋愛経験を知ることはたんなるのぞき趣味ではない。作品をより深く理解するための、重要な手がかりのひとつなのだ。もちろん、有名作家の型破りなエピソードを「これはすごいな……」と味わうだけでも十分楽しいのだけれど。

 最後に本好きのみなさんと、本好きならではの悩みを共有したい。文豪の私生活や人となりを知ると、親近感がわくし作品理解も深まる。一方で、作者のことを知らないまっさらな状態で作品に向き合いたいという気持ちもある。角川映画の懐かしいキャッチコピー“読んでから見るか 見てから読むか”のような葛藤が、文学作品にもそっくりあてはまるのだ。すると本書の読み方にも幾通りかある。既読の作家のパートだけ先に目を通す、未読の作家も含めて読破してしまう、もしくは本書に掲載されている作家すべてを急いで網羅してみる――無論すでに全作家を制覇した猛者もおられることだろう。あなたはどのように読みますか?

文=市村しるこ