105歳の医師・日野原重明さんが死の直前に遺した言葉とは?

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更新日:2018/1/29

『生きていくあなたへ 105歳がどうしても遺したかった言葉』(日野原重明/幻冬舎)

「死」とは、どういうことだろうか。「愛」とは、どのようなものだろうか。どちらも私たちを永遠に悩ませ続ける。明確な答えが出せないまま、人はこの世を去っていく。

『生きていくあなたへ 105歳がどうしても遺したかった言葉』(日野原重明/幻冬舎)には、105歳の医師、日野原重明さんが、死の直前まで語った対話が載せられている。時にはベッドに横たわりながら、それでも遺したかった言葉の数々が本書にある。105年を生きた医師が「命のせめぎ合い」の中で遺した思いとは何だろうか。

■今生きている自分の命を輝かせる

 105年を生きた日野原さんにとって、「生と死」はどのようなものだったか。

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 日野原さんは医者なので、「その時」が近いことを知っていた。そう遠くない未来に自分が死ぬことを「恐ろしい」と感じていた。だからこそ、朝、目覚めて自分が生きていることが分かると、心から「嬉しい」と感謝した。

 死ぬことは、どれだけ生きた人間にとっても未知なこと。誰もが経験したことのない、確信が持てないことなので、目をそらしたくなるような恐怖が先立つ。

 しかし「死ぬのが嫌だから生まれてこない」という人がいないように、人間は生まれた瞬間から死ぬことが決まっている。生と死は切り離すことのできない一続きのもの、いや同じものだ。

 私たちは死ぬことから逃れられないし、逃れなくてもいい。死だけを凝視するのではなく、目を背けるのでもなく、ただ今生きている自分の命を輝かせること。それこそが、「死とひとつになった生」を生きることだ。

 そう語った日野原さんの言葉には、まるで自分自身に語りかけるように、読者である私たちを諭すように、優しく力強い思いがこめられていた。

■「愛すること」と「愛されること」

 人間にとって「愛」は大きなテーマだ。誰だって愛してほしいという感情を持ち合わせている。そして誰かを愛したときほど、その感情は大きくなるもの。ならば、愛されるためにはどうしたらいいか。日野原さんは、イタリアの大歌手フィオレンツァ・コッソットが舞台に出るとき、聴衆から愛されるため行っていた、ある秘訣について語った。

 いくら大歌手といえど、ステージの上で何千人を前にすると、「自分は聴衆に愛されているのか」と不安になる。たった1人でも「自分を嫌っているのではないか」と思うと、自分を見失いそうになる。そんな繊細な心を持った彼女は、あることに気がついた。

 今日この場にいる全員に愛されるためには、まず私が心から全員を愛さなければいけない。

 それから彼女は、舞台に出るとき、心の中で聴衆に「私はあなたを愛しています」と思いをささげた。そのおかげか気持ちが聴衆に伝わり、舞台はひとつになったそうだ。75歳まで舞台に立ち続けた彼女のキャリアは、彼女と聴衆の「愛の交歓」によって成り立っていたのかもしれない。

 人は誰かに愛を求めるとき、自分の内側にある「理想の愛」と同じものを相手に求める。しかしそれは「本当の愛」ではない。愛とは、相手をそのまま受け入れて大切に思うことだ。誰かの思いをそのまま受け止めることができて、はじめて誰かを本気で愛せるし、誰かから本当に愛されるのではないか。

 私たちの人生は苦難の連続だ。それでも生きていけるのは、苦難の間に訪れる「生きる喜び」があるからだ。やがて訪れる「死」も、生きる喜びを心から感じ続けた者には、「生をしめくくる新しい瞬間」として受け入れることができる。生きていくあなたへ、105歳の言葉が届けば幸いだ。

文=いのうえゆきひろ