『夫のちんぽが入らない』に続く自伝的エッセイ――恥、弱さ、生きづらさ、全てを晒す!

小説・エッセイ

更新日:2018/2/26

『ここは、おしまいの地』(こだま/太田出版)

 デビュー作『夫のちんぽが入らない』では約20年におよぶ「ちんぽが入らない」半生をつづり、読者の価値観を揺さぶったこだまさん。その2作目となる自伝的エッセイ『ここは、おしまいの地』(太田出版)が、このたび刊行された。「おしまいの地」とは、こだまさんが生まれ育った故郷のこと。店もなければ、文化も娯楽もない。そんな集落での思い出をはじめ、家族や職場など半径数メートルの出来事が語られていく。

 学生時代に、見知らぬ男にエアガンを突き付けられたこと。住むだけで8kgも痩せた臭すぎる家のこと。頸椎のズレを治すために手術を受けたこと。移植した骨が、なぜか消えてしまったこと。旧友に胸が大きくなる薬を売りつけられたこと。次々に襲いかかる不運に、夫ならずとも「お祓いでもしたほうがいいんじゃ……?」と数珠のひとつも差し出したくなる。

 こだまさんの周りの人々も、強烈な存在感を放っている。スーパーで売られる80円の蟹を見て、「虫より安い」と冷やかす父。「泣く子は縛る」をモットーに、娘たちをしばき倒す苛烈な母。中学時代にほんの短い間だけ付き合っていた「金髪の豚」。こだまさんを「うんこ」呼ばわりし、赤面すれば「まっかっかのうんこ」とはやしたてる川本君。アベンジャーズだって、こんな強キャラはそろっていないだろう。

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 しかし、次々降りかかる災難も、長年のコンプレックスも、故郷や家族への屈折した思いも、こだまさんはひょうひょうと乗り越えていく。そのきっかけとなったのが、「書くこと」だ。肝心なひと言が言えないけれど、パソコンに向かえば堂々と書ける。膿を出すように、情けない胸中を吐き出せる。作中で、こだまさんは「書くこと」について次のように述べている。

「何もない」ということをさらけ出していけばいいじゃないか。恥ずかしい思いこそ書いていくべきではないか。洗練された街、文化的な家庭、健康的な心身、コミュニケーション能力、運。そのどれもがない。「欠けている」ことが私の装備だと気が付いた。自分の見てきた景色や屈折した感情をありのまま書けばいいのだ。

 書くことによって、過去に決着をつける。恥も弱さもさらけ出し、そんな自分を赦して認める。断片的なエッセイでありながら、自己肯定感の低かったこだまさんが自分の人生を獲得していく過程を描いた私小説のようでもある。

 地方の情報誌でライターをしていた頃、「あなたの書いたもの、これからも読みたいんです」と言われた時の晴れがましさ。ネットで知り合った3人の仲間と同人誌を作った時の、体を衝き動かす熱さ。満身創痍のこだまさんにとって、「書くこと」は救いであり、人生を支える杖のようなものなんだろう。ヨレヨレだけどなんとか前に進もうとする姿は神々しくもあり、読んでいるこちらまで「もうちょっと踏ん張ってみるか」という気にさせられる。その杖を手に、次はどこへ向かうのか。彼女の行く先をどこまでも見届けたいと、素直にそう思った。

文=野本由起