つながりと共感が重要視される社会で…「MeToo」という共感と、わかりあうことの違い

文芸・カルチャー

公開日:2018/2/7

『そのバケツでは水がくめない』(飛鳥井千砂/祥伝社)

 マンガ化もされたヒット作品『タイニー・タイニー・ハッピー』の著者最新作『そのバケツでは水がくめない』(飛鳥井千砂/祥伝社)は、運命的に出会った二人の女性を通して、「わかりあう」ということの複雑さを描いた作品だ。

 アパレルメーカーに勤める佐和理世は、新ブランドの立ち上げメンバーに選ばれる。ブランドの方向性に思いを巡らせるある日、運命に誘われるように、カフェに展示されているバッグに出会う。デザイナーはKotoriこと小鳥遊美名(たかなし みな)。理世はバッグだけでなく美名本人の雰囲気にも惹かれ、デザイナーとしてスカウトする…。

 物語の序盤、理世と美名の距離がぐっと近づくきっかけが、会社内での理世に対するセクハラの告発という点は独特だ。あるベテラン社員が違う部署から用のない理世のもとに来て、何かと言いがかりをつけて食事に誘い出そうとする。理世はそれを常々不快に感じていた。ひょんななりゆきから美名はそのことを知り、自分にもそのようなことがあったと理世の精神的な支えとなる。

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 はあちゅうのセクハラ告発、ハーヴェイ・ワインスタインのセクハラ問題、MeTooハッシュタグ…今、セクハラが再定義されつつあり、「自分も同じような辛い思いをした」という苦しみの共有が広がっている。作中で、理世がセクハラ問題から解放された時はこのように描写されている。

負荷やストレスは過ぎ去り、明るい未来が、穴からぽつりぽつりとこぼれる雨粒のように、一歩ずつ、ゆっくりゆっくり、理世に向かって近づいてくる。その音を、理世は確かに聞いた。

 心を通わせはじめた理世と美名。二人の心の交流を理解する上で重要なキーワードは「雨」、そして「名前」だ。理世は、おそらく都会に暮らす人の多くがそうであるように、雨を厭っている。服や靴が濡れ、傘を携帯しなければいけない雨の日。しかし、気分やタイミングによっては雨を楽しみ、情緒を見出せることもある。人の価値観には、そうした相反する性質がある。この物語の中で雨は、人が同じ事柄を違う角度で見始める瞬間や、心情の移り変わりを表すのに非常に重要な役割を果たしている。

 人の名前というのは、変更手続き等をしなければ一生同じだ。しかし、あだ名など、人それぞれ違う呼び方をすることもできる。Kotoriの本名は美名で、美名を英語表記するとMinaで、Minaにはドイツ語やフィンランド語だとそれぞれ別の意味があることが、作中で語られる。理世ははじめ「コトリさん」と呼ぶが、ある時「美名」と呼びはじめる。こうした名前に関する一連の描写もまた、変わりゆく人の心の中と、相互の関係を読者にイメージさせてくれる。

 物語がさらに進み、雨を厭わなくなっていたはずの理世は、ある場面でこのように口にする。

どんどん強くなる雨を嘆くことも、受け入れて楽しむこともせず、濡れることを諦めながら、理世は駅までの道をただただ歩く。

 なぜ、どのように理世の心、そして理世と美名の関係は変化していくのか。人の心の複雑さを、ぜひ読み進めながら発見してほしい。

文=神保慶政