東日本大震災からもうすぐ7年―話すことと同じくらい大事な、「聞く」ということ
更新日:2020/9/1
2011年3月11日からもうすぐ7年の月日が経とうとしている。その記憶の濃度が、月日が流れるにつれて人それぞれ異なっていくことは避けようがないだろう。『語る歴史、聞く歴史(岩波新書)』(大門正克/岩波書店)は、「人々の経験」という見えないものを「聞く」ことで見える形にして残すということが歴史的にどのように行われてきたのか、そして、「聞かれたこと」は私たちの日常にどのように関わってくるのかをテーマにしている。
語ること、聞くことの〈現場〉は、現在を生きる私たちにとっても、歴史の中の人々にとっても大切なものである。語ることと聞くことの〈現場〉を通して歴史のなかに生気を吹き込み、歴史を生き生きとしたものとして検証するとともに、〈現場〉を通して歴史と現在の接点を考えたく思っている。
「現場」という言葉を辞書で引くと、「現にそれが起こっている場所」という説明がなされている。本書では「場所」という意味以外にもう一つ「(聞くこと、語ることによって)過去のある場にまつわる記憶や感情が現れる」という意味合いでも、「現場」という言葉が使われている。横浜国立大学の教授として歴史学・経済学に携わり、また現在副学長を務めている著者は、様々な「場」で、様々な「現れ」の過程を経験してきた。
著者はまず「テーマ」に的を絞って「聞く」という営みを始めた。簡単な例で言うと「2018年の抱負は?」と聞き、その回答を得るような形だ。そして、模索を続けていく中で、「人生を聞く」という手法に進化していった。上記の例で言えば、2018年自体のことを聞くよりも、2017年以前・5年後・10年後など、聞きたいと思っている物事の周辺の事柄まで含んだ形で言葉を引き出すということだ。
一見正攻法に思えるこの手法にも、著者はある時点で行き詰まりを感じたという。
この聞き取り方法は、人生の節目にそって社会的経験を聞くので、語り手自身が苦労の克服にそいながら話したり、聞き手が語り手の人生を苦労の克服と結びつけて理解したりする傾向を含んでしまう。
聞き手の意志は語り手に少なからず影響する。その度合が大きすぎると、話し手の自発性がなくなってしまうということだ。その後どのような方法を見出したのかは実際に本書を手にとってご確認いただくくとして、戦争体験や歴史を研究する立場の方やインタビュアー以外であっても、こうした発見と模索の道筋に学ぶところは大いにある。
例えば、介護の現場などでは特に重視される「傾聴」という言葉がある。何かを語る人は、ただ語るだけでなく聞き手がいるからこそ語る。聞くという一見受動的な行いに積極性をまぜることで、相手方もこちらに心を傾けてくれる。言葉が自発的であればあるほど、相互のやりとりが促進される。自発的な言葉を聞きたいのは、対顧客、社内での会話、友人同士、家庭内、どの場合も同様だ。
3月が近づくにつれて、震災当時の記憶や感情が現れた映像や記事を目にすることが多くなるだろう。風化を防ぐという意味でも、「聞かれたこと」を抽象化して自分の生きる道に組み込んでいく意味でも、本書で「聞くことの歴史」を踏まえておくと、より良い状態でそれらを受け止めることができるはずだ。
文=神保慶政