貧困の「かたち」はどう変化した? 戦後から現代までを振り返る

社会

公開日:2018/3/2

『貧困の戦後史 ─貧困の「かたち」はどう変わったのか』(岩田正美/筑摩書房)

 現代日本において、行政やメディアなどさまざまなレベルで議論をよんでいるトピックのひとつが“貧困”だろう。近年をざっとふりかえっても、ネットカフェ難民、高齢者の貧困、女性の貧困、子どもの貧困など“貧困”にまつわる数多くのキーワードが注目されてきた。『貧困の戦後史 ─貧困の「かたち」はどう変わったのか』(岩田正美/筑摩書房)は、戦後から現在にいたるまでの、日本の貧困史をまとめあげた一冊だ。

 本書の特色は、時代ごとに貧困の「かたち」がどう変容したかを丹念に描いている点だ。貧困というと一般的に、所得や消費、失業など一貫した指標を用い、その増減を経時的に測るものというイメージがあるかもしれない。しかし著者は、所得や消費の多寡、職の有無だけではとらえきれない貧困が存在するという。

 たとえば終戦直後、貧困は“食べるものがない”という原初的な「かたち」で現れた。高度経済成長期の開拓農家には、土地と家を所有しているため生活保護が受けられず、借金に苦しむ人々がいた。現在多重債務に陥っている人は、安定した所得を有していても貧しい生活を送っている可能性がある。

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 本書ではこのような事例が、各時代における貧困の「かたち」をあらわすものとして紹介されていく。ほかにも、ニコヨン世帯や寄せ場、ホームレス、ネットカフェ難民など戦後日本におけるさまざまな貧困の「かたち」が、統計や資料、インタビューなどを通して明らかにされている。

 本書が示す多様な事例から分かるのは、“貧困”が必ずしも単一の指標だけで把握できるものではないということだ。著者は次のように語る。

さらに言えば、貧困線の指標やそれをあてはめる所得・消費の統計は戦後の歴史の中でその都度変わり、場合によってはそのような計測が拒否された時代もあった。言葉を換えれば、時々に現れる量的計測自体が、ある時代の貧困の「かたち」でしかない。つまり、ある個人の人生を通してなら把握できるかもしれない貧困一般は、その纏う貧困の「かたち」のなかに常に隠されており、その「かたち」とは、社会と、社会がその中に位置づける貧困との関係を意味している。(p314)

 だからこそ、数字の増減だけでなく、貧困と社会との関係を示す「かたち」を理解することが重要なのだという。

 同時に著者は、貧困の「かたち」が、常にわたしたちの目の前に分かりやすく現れているとは限らない点も指摘する。たとえば、妊娠期間中に医療機関で受診をしなかったり、分娩直前に救急搬送を要請したりする“未受診や飛び込みによる出産”の例である。このような女性が抱える経済的不安や社会的孤立は、ふだん表にでてこない。妊娠・出産期にだけ医療関係者、福祉関係者の眼前に浮かび上がり、ほどなくして、十分な援助を得ぬまままた姿を消してしまうのである。

 貧困は、社会の構造や制度というマクロな要因と、個人や集団の生活というミクロな要因とが複雑に絡み合いながら生み出される。状況に応じて貧困はさまざまな「かたち」をとり、そのとき“発見”された貧困が、議論され、政策的対策の対象となる――本書を通して、まずは貧困をめぐるこのようなしくみを理解することが重要だと分かる。そうすると、貧困の「かたち」だけでなく、その“発見”のされかたと対策のありかたもひっくるめて、客観的にとらえる必要があることに気づくだろう。

 冒頭で並べたネットカフェ難民、高齢者の貧困、女性の貧困、子どもの貧困なども、ひとつの時代における貧困の「かたち」であると同時に、貧困の“発見”のされかたでもあるのだ。その“発見”は、貧困の本質をヴィヴィッドに切り出すものかもしれないし、もしかすると重要な側面を見落としているかもしれない。また、時代とともに貧困の「かたち」は変わるのだから、「自分たちが若い頃は」「あの頃よりまし」「意欲が足りないだけ」など頭ごなしの発言が、ときに見当はずれになる可能性がある点にも注意すべきだと実感する。

 本書では、戦後の日本を立て直してきた人々から、先行きの見えない現在を若者として生きる人々まで、あらゆる年代にとって身近な事例が紹介されている。その豊かな記述を通して、日本の貧困問題を見つめ直すために欠かせない視点を身につけることができるだろう。

文=市村しるこ