“超AI時代”を見据えた働き方改革! 落合陽一が説く「働き方」の未来予想図
公開日:2018/3/5
「働き方改革」が進められる今日この頃。私たち日本人は、今までしてきた(もしくは、強いられてきた)伝統的な「働き方」を見つめ直し、そこから脱しようともがいている最中だ。働き方改革自体は非常に有益な社会の動きだと思う。しかしその一方で、ふと疑問が浮かび上がる。単純に「働き方」を変えたところで、「仕事」の根本的な仕組みはずっと今のままなのだろうか。「仕事」というものに対する概念は今のままで良いのだろうか。インターネットが浸透した現在、そして世界中の仕事がどんどんAI化していくこれからの時代を現役として迎える私たちは、もっと根本的に「働き方」に対する意識を変える必要があるのではないだろうか。
「人工知能の発展によって、2040年代に職がなくなる」という漠然とした展望が広まり、将来に不安を覚える若い人は多く、また中には、ベーシックインカムが出来上がり楽な生活ができると期待を抱く人もいるようだ。そんな来たるべき“AI時代”。私たちはどうやって「働く」のか。本稿では、これからの“AI時代”を見据え、通常とは少し違った視点で、これからの「働き方」を探ってみたいと思う。
昨年上梓され瞬く間に名著となった1冊『超AI時代の生存戦略』(落合陽一/大和書房)、そして著者の落合陽一氏をご存じの方も多いことだろう。本稿では主に、本書の中の第2章「超AI時代の『働き方』」にヒントを求め、上述したこれからの「働き方」や「仕事に対する感覚の持ち方」について考えたい。
以前、平均年齢15歳の子どもたち20人に、ページ工作や機械学習、ソフトウェアを教えるワークショップをしたことがある。(中略)驚くべきことなのは、今までであれば24歳の学生が修士論文でやることを、パターン認識の技術などを使いながら、15歳くらいの子ができるようになったことだ。つまり、24歳の人にとっては9年間分の時間があっという間にコモディティ化(※)してしまったというわけだ。それは専門性のあることでもすぐにインターネットによって薄れていくという意味であって、そうすると、今は難しいとされていることも、やがてすべての人々が意識せずに簡単にできるようになってしまうと予測できる。(80~81ページ)
(※:市場参入時に高付加価値をもっていた商品・技術などの市場価値が低下し、一般的なものになること)
今、私たちにはインターネットがあり、他人がやったことの学習とコピーは前時代に比べると格段に容易になった。「大学で資格を取ると一生使える」というのも古い考え方になりつつある。この流れには当然、既得権益層は反発するだろう。それでも、テクノロジーによる価格破壊や、脱人間化は確実に起こっていくし、少なくとも年功序列のような生得的優越はなくなるかもしれないと著者は説く。
このような時代の流れの中では、技術を追いかけ続けることができる者が生き残っていく。しかし、それが当たり前のようにできている人は少ないという。これからの世界で安定して働き続けていくためには、まずは、機械によって時間が省けるようになったという利点を活かして、「ムダな学習時間」をますます削っていく必要があると著者は説く。
たとえば医者という職業はこれまで安定していたわけだが、ロボットによって手術が行われるようになると、かなりの人が不要になってしまう。また、正確な診断がAIで行えるようになってくると、経験年数の差がなくなってくるのではないだろうか。そうした中で生き残るのは、繰り返しになるが、「新しい技術を追いかけ続けることができる者」なのだ。
そういった観点に立つと、「会社」とは「自身のために使い倒していくもの」であり、いつ辞めてもいいと著者は本書で語っている。
AI時代というと、先のことを考え過ぎて現実味がないとお思いの方もおられるかもしれないが、現に、インターネット化によって我々が守ろうとしている“職”は岐路に立たされている。特に若い世代のビジネスパーソンは、これから先、とてつもない変化の渦に呑まれるのだろうと私は感じている。AIがまだ当分は真似できないもの、それは個々人の人間としてのキャラクターなのではないだろうか。
「強い者、賢い者が生き残るのではない。変化できる者が生き残るのだ」というのは、進化論で有名な自然科学者、チャールズ・ダーウィンの言葉だ。「働き方改革」の流れも、そういった意味では重要な変化であることは間違いないが、我々はもっと根本的な、概念の部分まで遡って見直す必要があるように思える。変化を恐れずに邁進し続ける者こそが、インターネットに希釈されないような、AIに駆逐されないような、確固たるキャラクターを持って勝負できるのだと、本書の読後に私は強く感じた。
文=K(稲)