悪口を言われたら、ブッダだったらどーするのか?

暮らし

公開日:2018/3/16

『不安が消えるたったひとつの方法』(長南瑞生/KADOKAWA)

 どんな職場にも、必ず他人の悪口を言っている人がいます。
 矛先にあがるのは、たいてい上司ですが、その人の意に沿わないことをしたすべての人が対象です。

「こんなことを言われた」
「あんなことをされた」
 と、その被害の苦情を言います。

 そんな悪口ばかり言う人が周りにいると、気が滅入ってきますし、話を合わせると、自分も悪口を言うはめになります。
 こんな悪口を言われるようなとき、世界三大聖人のトップにあげられるブッダなら、どう対応するのでしょうか?

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 こんなエピソードが伝えられています。

 ある日、仏教を良く思っていない若者が、ブッダの前にやってきて、メタメタに悪口を浴びせかけました。ところがブッダは黙って聞いておられます。
 やがて若者が悪口を言い終わったとき、ブッダは静かに口を開かれました。

ブッダ「おまえは、祝日に、親戚や家族を招待して、もてなすことはあるか」
若者「そりゃ、あるさ」

ブッダ「招待客がそのとき、おまえの出した食べ物を食べなかったらどうするか」
若者「食わなかった残りは、おれのものだ」

ブッダ「私の前で悪口を言っても、私がそれを受けとらなければ、それは誰のものになるのか」
若者「なんだと? いくら受けとらないと言っても、 与えたんだから与えたんだ!」
ブッダ「そんなものは与えたとはいわない」
若者「じゃあ、どんなのを受けとったといい、どんなのを受けとらないというんだ?」

ブッダ「悪口を言われたら悪口を言い返し、怒りには怒りで報い、打てば打ち返す。闘いを挑めば闘い返す。それらは与えたものを受けとったという。その反対に、なんとも思わないものは、受けとっていないのだ」
若者「それじゃあなたは、いくら悪口を言われても、 腹は立たないのか?」

 ブッダは、詩によって おごそかに答えられました。

ブッダ「智恵ある者に怒りなし。もし吹く風荒くとも、心の中に波たたず。怒りに怒りをもって報いるは、愚か者のしわざなり」
若者「私は、ばか者でありました。どうぞ、お許しください」

 若者は、涙を流して悪口を悔い、 仏教に帰順したと説かれています。
 ここでブッダが教えられているのは、悪口を言われたら悪口を言い返すような「目には目を」の対応は受け取ったことになるということです。
 受け取ったら自分のものになりますが、受け取らなければ相手のものですから、悪口は、できるだけ受け取らないようにしましょう。

 ……そうはいっても私たちには名誉欲がありますから、人からほめられたいですし、悪口は言われたくありません。
 人からどう思われるだろうかといつも不安になります。
 そんな名誉欲の強い私たちのために、ブッダは、名誉欲を持ったままで、絶対変わらない大安心になる方法を教えられています。

 ゆるぎない大安心とはどんなものなのか、どうすればそんな心になれるのかは、『不安が消えるたったひとつの方法』(KADOKAWA)に書いてあります。

文=長南瑞生

(著者プロフィール)
長南瑞生(おさなみ みずき)

1976年千葉県生まれ、日本仏教アソシエーション株式会社 代表取締役。
著書に『生きる意味109』(1万年堂出版)がある。東京大学で量子力学を学んだものの、卒業後は仏教に方向転換する。布教使となり、広島、福井、岐阜、名古屋など、仏教の盛んな地域で活動するが、物理と仏教ではまったく勝手が違い、数年間は墜落すれすれの超低空飛行を続ける。学びを深めたのち、葬式・法事仏教に反逆し、本当のブッダの教えを伝える講師として、東京、大阪、京都、サンフランシスコなどで講演。さらにブッダの教えはそのままに、学びやすさについて現代の技術を取り入れるべく、仏教界では先駆的にインターネットへ進出。メルマガ「生きる意味に最短最速で近づく21ステップ」は、読者数3万人を超える。また、仏教に教えられた生きる意味をどんなライフスタイルでも体系的に学べる、仏教史上初のウェブ通信講座を開設。1500人以上の受講者に喜ばれている。