三越の包装紙を手掛け、12匹もの猫を飼い、晩年ロックを聴きながら絵を描いた芸術家・猪熊弦一郎
公開日:2018/3/29
3月20日から、猫好きにはたまらない展覧会が東京・渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで始まった。「いちどに1ダースの猫を飼っていた」というほどの無類の猫好きで知られる画家・猪熊弦一郎さんの、たくさんの猫の絵を紹介する「猪熊弦一郎展 猫たち」だ。会場には油彩や水彩、素描などで描かれた個性豊かな猫作品を中心に百数十点。じっとこちらをみつめる猫、喧嘩する猫、勝手気ままな猫…ユニークな絵の数々から伝わる、猫を大切な隣人として慈しむ猪熊さんの「やさしいまなざし」が印象的だ。
この猪熊さんの「やさしいまなざし」は、猫にだけ向けられたものではない。芸術家・猪熊弦一郎がどんな人物だったのか、その人となりと作品を知ることができる『猪熊弦一郎のおもちゃ箱 やさしい線』(小学館)が展覧会に先駆けて出版されたが、たとえば本の冒頭に、猪熊さんのこんな言葉が紹介されている。
「物に対してさえいつも、やさしいまなざしです。
毎日何気なく使っているものや、役目を終わったものも、
見方によって違う表情を 見せてくれるのが いとおしい」
アンティークの生活用品に独特の美を見出し、トイレットペーパーの芯や缶のフタのようなガラクタからユニークなオブジェを作り出し、何気ない日常をたくさんのスケッチに描き…猪熊さんは暮らしの中に数々の「お気に入りの美」を見つけ、猫と大好きな奥様との日々を楽しんでいたという。そんな猪熊さんの人となりと作品にまつわる心温まるエピソードが詰まった本書は、大切な宝物をこっそり教えてくれる「猪熊弦一郎ものがたり」といった温もりあふれる一冊だ。
ここで少し猪熊さんについておさらいしておこう。日本を代表する洋画家である猪熊さんは、1902年に高松市で誕生。東京美術学校で藤島武二に学んだ後、35歳でパリに渡って憧れのアンリ・マティスに師事。藤田嗣治とは「ゲンちゃん」と呼ばれるほど仲がよかったという。戦争中は従軍画家に、戦後はニューヨークに20年住みイサム・ノグチやイームズ夫妻と親交を深めた。当時、「面白い日本人画家がいる」と噂を聞きつけて多くのアーティストが猪熊家を訪れたというが、その中にはジョン・レノンとオノ・ヨーコの姿もあったとか。いわゆる芸術作品だけでなくコマーシャルアートにも積極的に関わり、三越の包装紙「華ひらく」など数多くの作品を残した。晩年は日本とハワイを行き来し、90歳でこの世を去るまでロックを聴きながら絵を描き続けたという。
楽観的でマイペースなその生涯に「ユニークなおじいちゃん画家」というイメージを持つ方も多いが、常に心の奥に「美」への純粋な情熱を持ち続けた偉大な芸術家としての素顔をあらためて知るのも、本書を読む喜びだろう。
なお、本書には猪熊さんの審美眼、自然体のセンスのよさが伝わる幻のコレクションブック『画家のおもちゃ箱』を34年ぶりに復刻して一部収録。巻末には猪熊ファンを代表して弟子の荒井茂雄さん、編集者の岡本仁さん、アーティストのあーちんさんと坂本美雨さんのメッセージもあり、世代を超えて愛され続ける猪熊さんの存在を実感する。
「今、あなたたちの身の回りにある
常識的なことに、もう一度目を向けて考えてほしい。
そこにあらゆる秘密が隠され、美しさがあるのです」
あらゆるモノが宿す本質的な「美」をキャッチした猪熊さんは、お金をかけない質素な暮らしの中でも、センスを磨けば「美しい生活はできる」ことを教えてくれた。その豊かな感性に触れたとき、あなたの毎日にもきっと新たな彩りが生まれてくることだろう。
文=荒井理恵
■猪熊弦一郎展「猫たち」
会期:3/20(火)~4/20(水)※会期中無休
時間: 10:00~18:00 毎週金・土曜日は~21:00(入館は閉館30分前まで)
会場:Bunkamuraザ・ミュージアム(東京都渋谷区道玄坂2-24-1)
http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/18_inokuma/