團十郎の妻、海老蔵の母として。歌舞伎役者に寄り添い続ける人生【堀越希実子さんインタビュー】
更新日:2018/4/2
かわいらしい紅白のおまんじゅうの写真が印象的な『成田屋のおくりもの』(マガジンハウス)。著者は、歌舞伎役者の十二代目市川團十郎の妻であり海老蔵の母である、堀越希実子さん。おまんじゅうは、孫の勸玄くんの初お目見得の際に配られたとらやのもの。人を笑顔にするおくりものに感謝の気持ちを添えて、じっくりとご縁をつないできた希実子さん。本書は23歳で梨園に飛び込み、夫や息子を舞台裏で支えてきた希実子さんの半生から、團十郎さんとふたりで築き上げてきた成田屋の暮らしや思い出の品々、実践してきた小さな心づくしまで語られています。ご自宅にうかがい稽古部屋でお話をお聞きしました。
■自分の心と身体を整える歌舞伎役者の流儀
――私たちは舞台の上のきらびやかな歌舞伎役者さんしか知りませんが、海老蔵さんのブログを見ていると、朝はトレーニングから始まり朝食はいつも決まったメニュー。そのストイックさに、アスリートのような印象を受けます。
自分がやっているわけではないからわからないですけれども、やはり舞台に立つというのは大変なことなんですね。歌舞伎役者は肉体労働、体力勝負で身体が資本です。全身を使って動きますし、衣裳は重いし、頭にはカツラも着けていて、1か月の間に25日間公演があります。ほかの方のお家はわかりませんが、主人も息子も体調を整えるために、毎朝きまって同じものを食べていました。
息子の場合は何品も皿数が並ばなくてはいけなくて、それは私が教育したのかもしれませんが(笑)、豆や納豆に魚、梅干しやらっきょう、ごまなど朝から8品から9品くらい。体のことを考えながら、自分の食べるものを工夫して、いただいているようですね。
主人は若いときには朝は洋食派で、パンにベーコンエッグとサラダ、それにトマトジュースやにんじんジュース、コーヒーをつけていました。あるときから和食をいただくようになって、ご飯に納豆、味噌汁、おひたし、そして温泉卵。それにお魚をつけたり、つけなかったり。『勧進帳』の弁慶など体力が必要なお役のときには、朝からミニステーキを焼いてつけることもありました。
お昼は劇場の近くに好きなお店がいっぱいあるのでそこでとっていただいて、終演後は家で夜ごはんを。家に帰ってからはほっと自分を癒せる時間なので、旬を取り入れた楽しい食卓や好きなものをと心がけていました。牡蠣の時期だったら牡蠣を用意したり、伊勢エビだったり、アワビだったり。大好きなマグロは一年中いただいていましたけれど、帰宅時間が遅いときには消化のいいものをそっと出すなど、主人の様子に目を配りながら臨機応変な対応を。食事や健康の管理は本人だけでなく妻の大切な仕事でもありますので、24時間、主人の体調に気をつけてやってきました。
■梨園に生きる妻、そして母として心がけてきたこと
――お世話になった方やご贔屓のお客さまへのご挨拶やお付き合いの際にも、さまざまな心配りをされていらっしゃいますよね。
そうですね。最初に、どのようにお世話になったからどのようなお礼をするのか、おおまかなことを主人と相談して、具体的な差し上げものについては私が決めてという形でした。主人が「気持ちとしてお礼をしたいので、こういうものがいいんじゃないか」と品物を指定することもあれば、「あの方には何がいいかな?」と私にゆだねてくることもあるので、それをよく聞いたうえで選んでお届けしていましたね。
私はふだんからおいしいものが好きなので、自分でリストをつくっているのですが、それらはすべて日常生活の中で見つけてきたものなんです。いただきものから「これ、おいしい!」とリスト入りするものも少なくありません。食べ物ならやっぱり旬のものもいいですよね。これからの季節でしたら、筍などもおいしくておすすめです。
また、節目の公演や季節のご挨拶のときには、配りものをつくってお配りすることもあります。襲名公演の際には、対の扇子、袱紗、手ぬぐいなど。大切な記念の品をきちんとつくりあげて、お世話になっている方々やご贔屓さまに感謝の気持ちとしてお届けする。相手の方を思う気持ちを形に表す仕事のひとつとして、毎回大切に行っています。
でも、私もお嫁に来た当初は何もわかっていませんでしたよ。梨園の決まりごとについて周囲の人や先輩方に教えていただき、何度も注意を受けながら、日本ならではの伝統や梨園の流儀を自分の中にしみ込ませてきました。そのうえで、主人と相談しながら、ふたりで成田屋のスタイルをつくりあげてきたところがあります。昔は「どこかにお手本になる本みたいなものがあったらいいなぁ」と思っていましたね。この本はそうした気持ちも込めてつくっています。
――歌舞伎という特殊な世界で生きるご家族を支えるために、いちばん大切なこととは何でしょうか。
主人にも、息子にも、やっぱりいいお芝居をしてもらいたい。そのためには朝、いかに気持ちよく出かけてもらうか。そのことを大切にしてきました。人間ですから、どうしたってその日ごとに体調も気持ちも少しずつ違うじゃないですか。でも公演には25日間、毎日違うお客さまがいらっしゃいます。ですから毎日いい芝居をしなくてはなりません。いかに気持ちよく家を出てもらい、いい芝居をしてもらうかということには、常に留意をしています。
今なら、歌舞伎役者というものはひとたび舞台に立てば、みなさまにいいお芝居を見ていただく立場なので、夫であっても自分だけの夫ではないし、私の所有物でもない、みなさまにいかに喜んで観ていただけるかが大切なのだと、十分に理解しています。でも若いころに1回、ちょっと失敗してしまったことがあるんです。ちょうど出番の前に、主人が心配するような電話をかけてしまったんです。それですごく叱られたことがありました。それ以降、もう同じことは絶対にしてはならないと、気をつけるようになったんです。“今聞いてほしい。今知らせたい”と思っても、ぐっと我慢をしていました(笑)。我慢できないと「なんでこんなときに!」と困らせてしまうので。
――海老蔵さんとぼたんさんが生まれて2児の母となってからは毎日がさらにあわただしく、“まるでゴールのないマラソンをしているような生活”だったそうですが。
もう、子育てと歌舞伎役者の妻としての仕事で、毎日ばたばたしていました(笑)。ちょっと空いた時間に、ごはんを立ったままさっといただくこともあって、どこに入ったのかな? と思うほど。子供たちが小さいころには、食事どきにちゃんとごはんを食べずにひっくり返っちゃったり、兄妹ゲンカが起こったりで、大変でしたよ、やっぱり。お弟子さんや番頭さんの人数も増えましたし。でもよけいな心配はかけてはいけないと思って、両親にも周囲にも何も言いませんでした。自分の中でそっと処理して、ひとりで泳いでリフレッシュしたり、あとは主人とふたりでおいしいものを食べてリラックスしたり。
今思うと、自分の時間というものは主人が亡くなるまでほとんどなかったですね。だから趣味もあまりなくて。着物のお仕事は主人に背中を押されて、23年前からさせていただいていますが、そのくらいかしら。デザインをしていると気持ちがふわっと広がるような心持ちがして、今も楽しく取り組んでいます。
■次の世代に受け継ぎ、未来に伝えてほしい願いを込めて
――本に掲載されていた、麻央さんのためにデザインされたという淡いピンクの花嫁衣装の打掛もとてもきれいでした。
実は、私が初めてデザインした花嫁衣装は、麻央さんの打掛だったんです。打掛はその人だけのものですから、麻央さんのことをよく見つめて、彼女にはピンクが似合うんじゃないかなと思いながら、配色を考えたり刺繍の模様を考えたりしました。白無垢も、中に着たものも、ひとつひとつ全部。とても時間がかかりましたけれど、美しい花嫁姿を頭の中に描きながら心を込めてつくりました。どなたかにおくりものをしたいときには、その方に想いを寄せつつ、気持ちをおもんぱかりながら、すべての工程を丁寧に進めることが大切ですね。
本当は、こういうことを、麻央さんに伝えられたら、いちばんいいですよね。でも、もうそれはできなくなってしまったので…。それで、本に残しておきたいなと考えたんですね。でも、書かれていることを全部そのまましていただかなくても、いいんです。読んでくださった方それぞれが、この本にご自身の考えをプラスアルファしていただきながら、風習やしきたりが伝わってくれればうれしいなと思っています。
――いつかこの本を、麗禾ちゃんが手にとる日も来るかもしれないですね。
あら、読むかしらねぇ(笑)。麗禾が大きくなるころには、また少し時代も変わっていくでしょうしね。彼女はまだ6歳ですから、成長とともに今後どんどん変わっていくと思います。どうなるんでしょう。もし読んでくれたらうれしいですね。勸玄には成田屋を受け継いでいってもらいたいですが。将来この本を見て、「ああ、ばぁばはこんな本書いてたんだ」と思ってくれたらうれしいです。
取材・文=タニハタ マユミ 撮影=海山基明