小川洋子最新作は切なく心揺さぶる物語に会える短編集『口笛の上手な白雪姫』

文芸・カルチャー

公開日:2018/4/7

『口笛の上手な白雪姫』(小川洋子/幻冬舎)

 小説を読んでいると、「どうしてこんなことが」と思いながらも、やがてその心は主人公と重なり、自らその世界にすっかりと入り込んでしまうことがある。小川洋子さんの最新作『口笛の上手な白雪姫』(幻冬舎)もそんな1冊だ。

 この本には、8つの物語が収録されている。「劇場」、「病院」、「公衆浴場」といったさまざまな場所。誰もが、小説の主人公と同じような体験をしているわけではない。だがこの本を読み進めていくうちに、どんどんファンタジーな世界に引き込まれ、言葉のひとつひとつが心に深く入り込んでくるだろう。そして自分のセリフとして、浮かんでくるはずだ。

 1話目の「先回りローバ」では、吃音症の7歳の少年が、とても小柄な老婆と出逢うことで変化を迎える物語だ。うまく言葉を発することができない少年。彼はその原因を作ったのは、両親だと固く信じていた。

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 自分が生まれた日を、実際よりも6日遅く届け出た両親。ここに生まれているのに、いないことにされた少年。6日後が“集会”の設立記念日のため、親はその日に生まれたことにしたかったのだ。そんなことのために、まだ生まれていないかのように扱われたことが、自分の言葉を空白にしたのだと。

 そんな彼の元に現れた老婆。彼女は少年の言葉に先回りをして、そのズレを修正してくれているというのだ。“集会”に行くと、嘘の誕生日を祝福される少年。そんな彼にとって唯一の話し相手であるローバと過ごす時間は、とても大切であった。

 そして8歳の誕生日を迎える。それは8歳にして初めて、老婆によって本当に生まれた日の誕生日を祝福された日、と言ってもいい。それはとても大きな祝福となった。

 記念すべき誕生日を迎えた少年。読み進めるうちに、一緒に彼の誕生日をお祝いしたい、そんな想いで一杯になる物語だ。

 今回読んでいて、私が強く共感できたのは、「仮名の作家」だ。ある女性と有名な作家との恋の物語。そう聞いてドキドキする人も多いだろう。

 有名人である彼のことをとても愛している女性の物語。彼女は誰よりも彼の作品を愛し、理解し、応援しているが、彼のために周囲から目立たぬように振る舞う。

 彼が書いた小説、長編13作、短篇33作、掌編9作、すべてを暗記しているほど。しかし目立つことで彼に迷惑をかけてはならない。そう思っているのだ。

 やがて、状況が変わる出来事が起こる。ある催しで、誰も有名人である彼に対して質問をする人がおらず、気まずい雰囲気をなんとかしようと、発言せずにはいられなくなったのだ。

 しかし質問をしているそんな彼女に聴こえるように、観客のひとりが大きなため息をついた。そこで、読み手は勘違いしていることに気付くことになるのだ。

 最初は彼女の思いに同調し、次第に彼女への違和感に同調していく。物語を読み進めるうちに、同調している気持ちにも変化が起こるが、それでもこの物語に惹かれるのは同じだ。

 そしてラストに書かれている「口笛の上手な白雪姫」は、また違う世界を読者に体験させてくれる。

 小さな子どもを抱えながらのお風呂は、大変な労力だ。母親自身がゆっくりと体を休めるために時間を取るのはまず無理だろう。だが、いつ頃からそこにいるのか、“小母さん”が助けてくれることで、母たちはお風呂につかる時間が取れるのだ。

 公衆浴場に行く女性たちにとって、なくてはならない存在だと尊敬されている小母さん。心から頼りにされ、敬意を表されている。その様子を知れば知るほど、誰もが小母さんを好きになっていくだろう。

 しかしある日、小母さんの自宅に女の子が迷い込んでしまう出来事が起こり、それが穏やかな小母さんをなかなか寝付けなくさせてしまう。

 確かに自分の掌にあったはずの、小さな五本の指は、ほっと気づいた次の瞬間にはもう消え失せていた。

 しかし小母さんは嘆いたりはしなかった。何百人の小さな子を抱き取ろうとも、やはり自分は仮の居場所に過ぎたいのだと、ちゃんと分をわきまえていた。

 子どもたちの、本当の母親にはなれない小母さん。このまま母親が戻ってこなければいいのにと、密かに思うこともある。しかし、そんな風に思ってしまったことを、赦してほしいと神様に祈るのだ。

 心優しく、一人ひとりの赤ちゃんとのお風呂の瞬間を大切にする小母さんを、ぎゅっと抱きしめたくなってしまった。

 さまざまな想いを持った主人公の世界に、入り込んでしまえる物語ばかり。現実からトリップし、主役たちと一体化する世界を楽しもう。

文=松田享子