初の女性専用“花電車”は、明治時代に存在した! ノスタルジーに浸る鉄道写真
更新日:2018/7/3
最近の新幹線車内では、加熱式駅弁やシューマイ弁当、肉まんも食ってはいけないという……マジですか。飯テロ禁止令、いやスメハラ防止なんだそうですが。
いやあ、国鉄時代なんて、新幹線も東海道線も、車内灰皿に吸い殻突き刺して、窓際に固定された栓抜きでビールをプシュッ。でもって、駅弁をかきこみながら、食後は冷凍ミカンってデフォでしたよね、鉄道旅行の。赤いネットに入った冷凍ミカンを、東海道線内で四個一気食いして親に怒られたなあ、昔。しかし最近は、冷凍ミカンを除くそれら全てが「車内マナー違反行為」と見做されるって……もう昭和の人間は心が萎え萎えです。缶ビールのプルタブを開ける時も、遠慮がちにやらなアカンのでしょうか。
そんな後ろ向きな昭和人の心の慰めにうってつけなのが『鉄道写真が語る昭和』(山と渓谷社)。『旅と鉄道』、通称タビテツで愛される鉄道雑誌の編集部が膨大なアーカイブから厳選した「昭和の鉄道風景」写真に時代背景を解説するエピソードが加えられています。本の判型はA5版ムックでコンパクトですが、写真はこだわりの見開き。老眼の始まった昭和アラフィフにも、じっくりと写真の細部が見えるのでご安心を。
戦前から昭和20年代、30年代、40年代、そして国鉄終焉の60年代に向けて、ページをめくると鉄道クロニクルが展開します。日中戦争勃発後には、戦地にお笑いを届ける「吉本わらわし隊」が大阪駅で東海道本線の二等車から身を乗り出し、人々が手旗を振って送り出す。昭和20年代には、戦後すぐで物資不足の時代、電車の屋根にまで人が乗って買い出しに出かける総武本線の運行風景、上野発青森行きの普通列車、「大みそか夜行」で北の故郷へと帰る出稼ぎの人々が眠る車内風景。高度成長期の中央線新宿駅ホームでは、殺人的なラッシュの通勤電車と乗客を車内に押し込む学生バイトの姿。昭和30年代終わりには、駅構内で荷物を運ぶ赤帽さんの働く姿。赤帽さんは、詰襟にゲートル、地下足袋や革靴姿で働いていたんですねえ。
そして、最近も色々と話題の女性専用車ですが、その始まりは、明治45年(1912年)の「婦人専用電車」。なんと明治ですよ、明治。これは乃木希典将軍の発案で、女学生の多い電車を「花電車」と呼んで痴漢行為を行う輩への対策として、中野‐昌平橋(現・御茶ノ水駅付近)間に、「婦人専用電車」を走らせたんだそうです。
明治時代の痴漢、乃木将軍の目に余ったのでしょうな。最近の女性専用車に乗り込む男性グループを見たら、乃木将軍は何と言うのでしょうか。聞いてみたいもんです。
さて、『鉄道写真が語る昭和』のフィナーレを飾るのは、もちろん「さよなら、国鉄」。昭和62年(1987年)3月31日、東海道本線東京駅。最後の日を迎えた国鉄の姿に、自分の昭和の日々が重なる人も多いのではないでしょうか。
文=ガンガーラ田津美