相手をイラつかせる「謝り方」って? こじれた仲を回復させる方法

暮らし

公開日:2018/4/13

『こじれた仲の処方箋』(ハリエット・レーナー:著、吉井智津:訳/東洋館出版社)

 酷いことをされて一応は謝られたけれど、なんだか腑に落ちない。逆に相手に嫌な思いをさせてしまい謝ったけれど、一向に怒りが収まる気配がない。だったらどんな謝罪なら受け入れられるのか、受け入れてもらえるのか。それが分からないままだから、場を収めるためにとりあえず「ごめんなさい」を連発してしまう……。こういった経験はおそらく、誰にでもあるだろう。

 心理学者としてカウンセリングの場に立ち会い、世界で300万部以上を売り上げた『怒りのダンス』(誠信書房)著者のハリエット・レーナ―さんによる『こじれた仲の処方箋』(ハリエット・レーナー:著、吉井智津:訳/東洋館出版社)は、その「謝り謝られること」を通して、相手とのわだかまりを解く方法について考える1冊になっている。

 ハリエットさんは謝ることと、男女問わずそれができない人々について20年以上研究を続けてきたという。彼女は第一章の冒頭で

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せっかくの「ごめんなさい」の言葉も、誠実さが伴っていないときや、続けるのがつらい会話を終わらせる方法として安易に使われるとき、あるいは正当化や言い訳の手段として使われるときには、力を発揮しないということを伝えたいのだ

 と語っている。では、どんなものが相手をイラつかせる「力を発揮しない謝り方」なのか。ハリエットさんはそれらを、

言い訳の畳みかけ
→謝罪を伝えたとしても、そのあとにすぐ「でも」と続けてしまうと、せっかくの誠意が帳消しになってしまう。

お気持ちに気づかなかったアピール
→「ごめんなさい、あなたがそんなふうに思っていたなんて」という言い方は、謝っているようで謝っていない。

自分は悪くない可能性を含ませる
→「もしも私が……だったのなら、ごめんなさい」という言い方は、相手を見下した印象を与えてしまうこともある。

謝罪の対象がずれている
→「私の言ったことで、怒らせてしまって申し訳なかった」というのは謝罪になっていないし、これでは怒った方に問題がある印象になる。

許してもらおうとする
→謝ったと同時に、許しと救済への切符を自動的に手にすることができたと思うのは、謝罪を台無しにする。せっかくの謝罪も、そのあとすぐに許しの要求が続くと、傷ついた側の人がたどるべき感情処理のプロセスを遮ってしまうことになりかねない。

 だとしている。また何かにつけ相手に「ごめんなさい」を繰り返すのも、意味のない謝りであって同様にイラつかせることもあるそうだ。

 では一体、どんな謝罪なら不足がないというのか。それは非常に単純だ。

よい謝罪とは「もし」や、「でも」抜きの「ごめんなさい(もしくは同等の語句)」を含む言葉で、それを取り消したりぼやかしたりするような言葉や行動を伴わないものをいう。

 理由を説明したいあまり「ごめんなさい。でもあの時はあなたが……」みたいなことを言ってしまったり、「不快に思わせてしまったらごめんなさい」と言ったりするのは、実はこれっぽっちも謝罪になっていないのだ。しかし全ての場合にあてはまる、謝罪の公式というものもない。それは謝る相手が変われば聞きたい言葉は違ってくるからだ。しかし、

「もう二度とこのようなことがないようにベストを尽くすと約束します」というのが、謝罪を心に届かせるマジックワードなのかもしれない。

 と、ハリエットさんは言う。自分の非をただ認めるのは誰にとっても難しく、言い訳をしたり「謝ったのだから許してほしい」という気持ちになってしまったりしまいがちだ。しかし真の謝罪とは、自分を許してもらうためにするものではないのだ。

 この本は自分が謝る側になった場合だけではなく、謝られる側になったときのイラ立ちとその対処法についても触れている。

 昨今、「謝ったら死ぬのか?」というレベルで絶対に謝罪の言葉を口にしない人がいる。なぜ彼らは謝れないのか。それは自尊心が低いがために自己防衛をしていたり、「本物の男は謝らない」というジェンダーロールに縛られていたり、恥ずかしさが邪魔をしていたりと、さまざまな原因があるとハリエットさんは見ている。そして謝らない人へのアプローチとして、

あなたを傷つけた人と対話を始めるときには、まずは自分を守ることを最優先に考えて欲しい。あなたの求める回答がなされることへの期待値はゼロまで落としておくのが良いだろう。あなたにできるのは真実を話すことだけ。なぜなら、あなたは自分を守るために話す必要があるのだから。

相手がどう打ち返してくるかはあなたにはコントロールできないけれど、あなたは投げるべき球を投げればよいのだ。

 とアドバイスする。謝らない人間から、自分の望んだとおりの対応を引き出すことはできない。ならば自分を守るために、真実を話すことに集中することが必要なようだ。

 また「怒りから自分を解放するために、許すという方法を取るべき」という思い込みがあるが、相手を許す必要はない。謝罪を受け入れることは許すことではないし、許すことは美徳で、許せないことは精神的に未熟であるということもない。混同されやすいが許すのではなく怒りを手放すことが大事で、許さなくても相手を愛することができる。許しも1かゼロかではなく、グラデーション(70%は許す、といったもの)があると、ハリエットさんは言う。

 怒りと許しはセットのように語られ、許しがゴールのように思われるフシがある。しかし決してそうではないということを、本書は教えてくれる。

 謝罪は心からシンプルに、そして受け入れる=許すではないのだから、許せなくても謝罪をもらった事実は受け取る。これが謝罪を挟んで対立する関係から、解放される手段と言えそうだ。

 謝り方はいくつになってから学んでも、決して手遅れということはない。大事な人を失いたくない、大事な人との関係を修復したいなら、今から手に取って読み始めても、きっと間に合うことだろう。

文=今井 順梨