赤ちゃんも「善悪」がわかる?! 子どもの道徳性をどう育てるか?
公開日:2018/4/18
平成30年度から小学校で「特別の教科 道徳」が始まる。これまでの「道徳の時間」が教科化され、他教科のように数値方式でこそないが、評価対象となる。「特別の教科」と付くのは、各教科、特別活動、教育課程外の清掃・給食・クラブ部活動など、全教育活動を通じて行われることが基本原理となるため。
教育において「道徳」の重要性が増すことは必至だ。しかし、そもそも子どもはどのようにして「道徳性」を発達させているのだろうか。もし、それがわかれば、大人がある程度、就学までの段階で子どもの「道徳性」がよりよい方向に発達するよう導いてやれるかもしれない。
ところで、私たちは、どの時点で「道徳性」が芽生えるのだろうか。『子どもは善悪をどのように理解するのか?: 道徳性発達の探究』(長谷川 真里/ちとせプレス)によると、驚くべきことに、乳児の段階から善悪に対して敏感である、という。
その結論は、例えば次のような実験結果から導き出された。
・赤ちゃんに、主人公のマルが一生懸命に坂を登ろうとしては失敗して滑り落ちてしまう動きを見せる。
・その後、マルを押すようにして援助するサンカクと、マルを落とそうとする妨害者のシカクの動きを見せる。
・赤ちゃんにサンカクとシカクのどちらかを選ばせると、サンカクを選んだ。
6か月未満の赤ちゃんの段階で、向社会的行動と反社会的行動の違いを判定し、向社会的行動を好む。本書は、「人間は道徳的な存在として生まれる」と考察している。
次に、幼児に対して行った次のような実験が紹介されている。意図(善、悪)と被害(大、小)の例話をそれぞれ比較させ、子どもにどちらがよいか・悪いかを尋ねてみた。例えば、「意図善・結果大」なら、お父さんのインクびんを締めてあげようとしてうっかりびんを倒し、机の上の布に大きなシミを作ってしまった。「意図悪・結果小」なら、お父さんに「触ってはいけない」と言われたにもかかわらず触って、インクのしずくを同布に落としてしまった、という具合だ。
このとき、実験結果はおおむね、意図にかかわらず結果の大小でよい・悪いを判断した。本書は、子どもの反応に共通して見られる発達段階を次のように示している。
段階1:意図をまったく考慮しないで善悪判断をする
段階2:被害の大きさが同じ場合にはじめて意図を考慮する
段階3:意図が同じであれば被害を考慮する
段階4:意図のみに基づいて判断する
本書によると、日本の4歳児のほとんどは、段階1か2に属すると推測している。幼児の段階では、他者の意図はニュートラルまたは「よい」のが「普通」であるため、結果の良し悪しや被害の大小のみで善悪判断をすればよい。しかし、行為者の意図が悪い場合は、「悪い意図」と「結果」の情報を両方とも考慮、結合しなければならないため、善悪の判断にゆらぎが出てしまった、というのだ。つまり、幼児の段階では「意図」まで考慮するのは認知的負荷が高すぎる。裏を返せば、意図や動機の個別的な善悪判断はできるため、一つの事象において情報量を減らしてやる、あるいは切り分けてやると、幼児でも大人と同じような反応が期待できるだろう、としている。
家庭で物事の善悪について話すとき、意図と被害について分けて話せば、子どもは大人が驚くような理性的な判断を見せるかもしれない。
文=ルートつつみ