不払い残業の根本的な原因?「裁量労働制」はなぜ危険なのか
公開日:2018/4/18
第二次安倍政権によって「働き方改革」が叫ばれるようになったのは2016年頃のこと。景気の先行きが見えない中、人々の働き方を変えることで経済を活性化させようという考え方のようだ。だが、「働き方改革」の名のもとに実施されようとしている「裁量労働制」の拡大は、本当に労働者のためになるものなのだろうか? 今こそ、「裁量労働制」を導入することの本当の意味について真剣に考える必要があるはずだ。
『裁量労働制はなぜ危険か――「働き方改革」の闇』(今野晴貴、嶋崎量:編/岩波書店)は、日本における裁量労働制の持つ意味について、実例を示しながら解説していく。政府は、裁量労働制で働くことで労働者の生産性を向上させ、労働時間を短縮できるという。だが、実際に裁量労働制のもとで働く人々は、長時間労働を強いられる場合が極めて多い。これは裁量労働制を「残業代を支払わずに労働者をいくらでも働かせられる制度」として、企業が運用するからだ。
原因はいくつか存在する。1つは日本の企業の、労働者の勤務時間に対する監督が非常に甘いという点である。これは裁量労働制に限らず、日本の企業で働く人なら多くの人間が経験したことがあるはずだ。出社時間と退社時間の記録を取らない、休憩時間の扱いが曖昧になる……本来であれば、労働者の労働時間を監督するのは企業の役目だが、日本には監督責任を追及するような法整備がなされていない。これが、「サービス残業」という、本来は違法であるはずの行為が、まるで一般的な出来事のように扱われる土壌になっている。この上に裁量労働制を適用すると、事態はさらに悪化するという。つまり、「本人の裁量で働いている以上、企業は労働者がどれだけ働いたか把握する必要はない」という考えがまかり通り、長時間労働を自己責任とされてしまうのだ。
2つ目の要因は、裁量労働制として働いているにもかかわらず、労働者に裁量を与えない場合が多い点だ。本来の裁量労働制とは、仕事の進め方や働く時間などをあらかじめ決めておくよりも、本人の判断で柔軟に行動したほうが効率的に進められる仕事に適用される。労働者自身が、最も適切な働き方を選べる立場や能力があるなら、裁量労働制は大いに役立つだろう。ところが、日本企業における裁量労働制はそうした前提を無視してしまう。たとえば1日12時間、月24日働いても終わるかどうかわからないような業務量を割り当てる。あるいは、取引先の事情に合わせなければいけないような仕事ばかりを与える。これでは、本人に自分の働き方や労働時間を決める権限があったとしても、事実上は行使できない。
本書は「裁量労働制」そのものを否定しているわけではない。労働時間と給与を直接結びつけて考えるのが適切ではない仕事があるのは事実である。だが、問題なのは現在の日本には裁量労働制を適切に運用するための基盤が存在していないという点だ。裁量労働制はどんな労働者にでも適用するべきものではない。適用されるべき職種にしても、業務内容の基準にしても、ハッキリとした線引きがされないグレーゾーンばかりだという。さらに深刻なのは、政府が推し進めようとする裁量労働制の拡大は、このグレーゾーンを広げるものだというのだ。
長年、日本の企業では、労働者の長時間労働が常態化していた。ようやく過労死に対する認識が浸透し、違法性のあるサービス残業や長時間労働は摘発や賠償の対象になることも知られるようになった。だが、著者は裁量労働制の拡大こそ、こうした違法な長時間勤務体制の代替になると危惧している。無理な労働をしなければいけない環境を与えておきながら、「労働時間は本人の裁量だから」と企業側が一蹴できるような制度にしてはいけない。
裁量労働制が持つ本来の意義とは、労働者が自律的に働き、時間や労力といったリソースを効率良く使うところにあるはずだ。だが、日本で推進されようとしているのは、長時間労働を強要する言い訳に利用されるようなものにしか見えない。本書は裁量労働制という制度を通して、日本の労働環境が持つ深い闇を浮き彫りにする一冊である。
文=方山敏彦