菅原道真の成績は「中の上」だった!? 知れば知るほど面白い、偉人たちの意外な過去
公開日:2018/4/18
水戸光圀は札付きのワル? 「英世」への改名に隠された野口英世の過去? 誰もが知っている日本史の中の有名人たちの意外な黒歴史がまとめられた『ほんとはこんなに残念な日本史の偉人たち』(後藤寿一:監修/実業之日本社)が刊行された。本書では偉人たちが世に出る前にやってしまった若気の至り、英雄のイメージが一変するあれやこれやが大暴露されている。
■野口英世に放蕩の過去あり!
千円札の肖像画にも用いられている野口英世は、梅毒や黄熱病の研究などで多くの命を救い、日本人初のノーベル賞候補になるほどの人だった。偉大な業績から「世界のノグチ」とも呼ばれる野口英世だが、じつは世に知られる前に彼は改名を行っている。もともとは「野口清作」という名で、自ら改名しなければと思いつめるほどの黒歴史があったのだ。
野口は会津の貧しい農家に生まれ、幼いころに左手に大火傷を負った。しかし、周囲からの支援を受けて手術をし、左手の自由を回復させた。そのことをきっかけに、医者という仕事に感銘を受けた野口は東京へ出て、本格的に医師になることを目指した。上京して野口は熱心に勉学に励みながらも、かなり派手に遊んでいた。学費として援助された金を、酒や女、遊里で使い果たし、お金に困れば友人や支援者に泣きつくということを繰り返していたのだ。
しかし、そんな彼にも転機が訪れる。故郷の恩人である小林の夫人が重病だという知らせが届いたのだ。小林夫人の看病をしながら、ふと手に取った坪内逍遥の小説『当世書生気質』を読んで、彼は愕然とした。その小説の主人公は「野々口精作」という名で、田舎から東京に出てきた医学生が、遊里に通って堕落した生活をつづけ最後は自殺するのだ。自分とそっくりな名前と生活をしている主人公に、野口はショックを受けた。そして、自分の名前をもっといい名前に変えてほしいと、恩師である小林に頼んだのだ。そして、小林に新しく「英世」という名前を付けてもらい、野口は名前負けしないように心新たに生きること誓ったのだ。
ちなみに、坪内逍遥の小説『当世書生気質』の主人公「野々口精作」は、野口とはまったくの無関係。似ていたのは偶然だった。
■成績は「中の上」だった――菅原道真
菅原道真は平安時代の貴族であり学者、右大臣まで出世した政治家でもあった。宇多天皇に重用されトントン拍子で出世したのだが、政敵に妬まれ、無実の罪を着せられ左遷。彼の疑いは晴れぬまま、非業の最期を遂げた。そんな道真が怨念をこめた和歌「東風吹かば匂いおこせよ梅の花 主なしとて春を忘るな」は学校で習ったという人も多いだろう。
現在では「学問の神様」として全国に祀られている菅原道真だが、彼の成績はいかほどのものだったのか。当時、最難関の国家試験だった「方略試」を受験したときの記録が残っている。そのときの菅原道真の成績は「中の上」だったそうだ。試験の内容には「地震を弁ず」と、地震とは何なのか問われたものがあったのだが、菅原道真の回答に対し採点者はかなり辛口なコメントをつけている。文章はうまくまとめているようだが強引にこじつけているにすぎないと、かなり厳しい評価だった。ちなみに、この「方略式」は多くの受験生が「中の上」という結果らしいので、道真が特別悪かったわけではない。ただ、本人は試験の評価に納得がいかなかったようで、その悔しさをバネにさらに勉学に励んだらしい。学問の神様も満点ばかりとっていたわけではないのだ。
ほかにも本書には、「水戸黄門様」として知られる徳川光圀も青春時代はかなりの悪だったことや、天才作家・三島由紀夫が大嫌いだった太宰治と直接対決したことなど、戦国武将や明治維新の立役者、さまざまな偉人たちの意外な過去が紹介されている。本作を読めば、みんながスゴイと思っている偉人たちの真実に、驚きと愛おしさ、親近感を覚えるだろう。
文=なつめ