失っても、それでも人は生きていく――ロスジェネ世代を映した“肯定”の物語【榎田ユウリさんインタビュー】

マンガ

公開日:2018/5/7

春、3月。物語は綿々としたモノローグから始まっていく。「はじめの50ページを何度書き直したことか」と、榎田さんは苦笑する。23年ぶりに中学時代を過ごした町へ、ひとりきりで戻ってきた主人公は、懐かしい場所を歩きながら想いを巡らせる。誰に聞かせるわけでもない心の声。その饒舌さは、どこか哀しくなってきてしまうほどだ。

イメージ写真

榎田ユウリ
えだ・ゆうり●東京都生まれ。主な著書に「妖琦庵夜話」シリーズ、『夏の塩』をはじめとする「魚住くん」シリーズ、「カブキブ!」シリーズ、『ここで死神から残念なお知らせです。』『死神もたまには間違えるものです。』など。榎田尤利名義でも活動。ボーイズラブ作品を多数発表、著作数は2018年で120作を超える。ジャンルを超えた人気を博している。

advertisement

 

「主人公の矢口弼(たすく)は、作者である私にも、なかなか打ち解けてくれなくて。“初対面”ってやっぱり難しい。特に矢口はめんどくさいやつなので(笑)。シリーズものの執筆が続いていたので、はじめからキャラクターを作るのは本当に久しぶりでした」

 ボーイズラブ(BL)のジャンルでは、榎田尤利名義で「魚住くん※」「交渉人」などのロングセラーシリーズを、エンターテインメントの分野では、榎田ユウリとして「妖琦庵夜話」、「カブキブ!」などの人気シリーズを、ジャンルをクロスオーバーして活躍するヒットメーカーが、表紙に舞う花びらの、その花の頃に上梓したのは、初となる一般文芸作品。

「でも、ジャンルについてはあまり気にしませんでした。いつもと違うモードで書いたということは特になくて、それより、“あぁ、やっぱり私が書くと、こうなっちゃうんだな”って(笑)、気付きました」

 離婚を経験し、仕事にも疲れた元税理士の矢口。かつて家族と暮らしたことのある雨森町での新居に決めたのは喫茶店の3階。大家でもある、その店“レインフォレスト”で、矢口は、38歳の自分よりひと回りほど年下に見える横柄なチャラ男に出会う。店を仕切っている身長180センチ越えの騒がしいイケメン、実はその男、中学の同級生・小日向ユキであった。矢口いわく、〈あのバカでチビの小日向〉だった。

「小日向とのやりとりが始まってから、ようやく私のなかで矢口が心を開いてきました。他者との対話がないと、人の心は見えてこないんだなって思った。理屈っぽい彼は、どうしようもない結果を前に、本当は何の脈絡もないのに“きっと何か因果関係があったはずなんだ”と一生懸命考えてしまう人。一方、小日向は、その結論を特に考えず、“しょうがないんじゃないの”とポンと受け止めちゃう人。どちらのタイプも私は大好きで、2人のやりとりは書いていて、本当に楽しかった」

〈イヤな大人になったね、おまえ〉〈小日向は大人にすらなってないみたいだが〉――殊に、「魚住くん」シリーズ愛読者にとって、2人のツンツンと突き合うような掛け合いはたまらない。

「小日向は、わがままな小学生男子が、そのまま大人になっちゃったというキャラ。中学時代も今も、矢口のことが大好きで、大好きだから連れまわしたくなるし、イジリ回したくなる。そのマイペースな性質は魚住と、どこか通じるところがあります。魚住から、いいところを少し減らして、おっさんにしたような感じ(笑)」

 そこに眉なしスキンヘッドの巨漢、温厚で寡黙なチュン、内科クリニックを営む、しっかり者の花川も加わってきて、互いの恥ずかしい中学時代を知る38歳男子たちの、どこかノスタルジーに満ちた付き合いが始まっていく。そんな彼らに、突然もたらされる恩師の死をめぐる謎。彼らが中学3年生のとき、突然の事故で逝ってしまった文月葵先生。その死は、生徒からのいじめを苦にした自殺だったのではないのかと――。
 

■気が付くと私は喪失した人を書いている

「今、38歳くらいの人と話すと、皆“若い”んですよね。まだ大人になりきっていないというか。けれどバブル世代の浮かれていた人たちのその頃とは違い、どこか妙な落ち着きがある。ロスジェネ世代と呼ばれる今の38歳は、いろいろと諦めなきゃいけなかったことがあるジェネレーション。そのことに対して自分へのダメージを最小限にする工夫を学び取ったのかなと想像したんです。そうすると、ある程度、自分を騙すことになってくるんですよね。自分に嘘をついて、騙して、言いたいことを埋めながら生きてきたかもってことに気が付く世代なのかなって」

 時代の空気から感じ取ったリアル。アラフォー世代の彼らは、表に出る形はそれぞれ違えども、皆、そんな想いを抱えている。先生の死の真相を探すために、矢口と小日向が訪ねゆく元クラスメイトの女子たちも。中学生の頃、言葉では説明できなかった、胸のなかのひっかき傷、自分へのどうしようもない嫌悪感――。38歳になった今だからこそ語れる彼女たちの想いは、読む人が知らず知らずのうちに引きずってきてしまっているものまでも、取り出し、昇華してくれる。

「なぜかすごく強い女子を書きたくなるんです。これはシンプルに私の願望なんでしょうね。やっぱりリアルの世界では、女性の立場はまだまだ弱いというのは、私自身も、感じるところ。だから、“みんなで一緒に頑張っていこうね”って」

 BL作品を描いてきたなか、榎田さんは、読者の大半を占める女性たちの数多の想いに接してきたという。

「BLの読者さんって、長いお手紙をくださる方が多くて。その文面を読むと、どうしようもない孤独や後悔など、現実のなか、かなりハードなものを抱えている。そうした想いを前に、気付くと私は、何かを喪失した人たちを書いているんです」

 彼らが喪失してしまった文月先生、もしかしたら自殺ではなかったのかという思いを巡らせることで、暗いフィルターがかかってしまった彼女との楽しかった思い出、そして各々がこれまでの人生のなかでなくしてきたもの――この物語に出てくる人は、皆、喪失を抱える人たちだ。そしてストーリーが拓いていくにつれ、過酷とも言える、矢口の喪失も明らかになってくる。
 

■答えや理由は“作る”ものではない

「歳をとればとるほど、周りの人が亡くなっていったり、いろんな喪失を経験していく。それは当たり前のことなんだけど、そのなかには、文月先生の死のように納得できない理由を抱える不条理なものもある。殊に矢口は、これまで身の上に起こってきたことから、その不条理を実感しているんですね。そのなかで、矢口と小日向が追っていく先生の死の謎は、あるひとつの答えを得るための小さな旅だったのだと思います。そして、なくしても、なくした後も、人生は続いていく。それを、私は書きたかったんだな、と。続いていく、その人生のなかで、何かちょっとでも楽しいことを見つけられたらいい、そういうことを願いながら、この物語を書いていたのかもしれません」

〈スッキリさせんな。人生はもっとゴタッとしてるもんだ〉。ある場面で、小日向が矢口に放つ言葉だ。

「人って、何かあると、そこにいちいち理由を付けたり、答えを出したくなってしまいがちだけど、それは“作る”ものではないと思うんですね。人が生まれてきたことに意味があるというのも、考える角度を変えると一種の幻想で。その幻想のなか、何かを探して、探して、それでハッピーになれるんだったらいいんですけれど、探すことがむしろ苦しみにつながっていってしまうのであれば、きれいに納得できなくても、ぐちゃぐちゃしたままでいいんじゃないかなって。自分の日々をもっと自由に、ぼーっと歩いていてもいいんじゃないのかなって」

 物語がその旅を終える頃、自分の人生を肯定する想いが読む人のなかに落ちてくる。ひらひらと桜の花が舞うなか、矢口と小日向とともに、きっと何かから解き放たれる。

取材・文=河村道子 写真=小嶋淑子

(※)「魚住くん」シリーズは榎田尤利名義、榎田ユウリ名義、どちらも刊行物あり。