「母さん、呆けてくれてありがとう」佐野洋子が送るリアルな母と娘の愛憎物語

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公開日:2018/5/2

『シズコさん(新潮文庫)』(佐野洋子/新潮社)

 母と娘の関係は、死ぬ直前までどう変化していくか分からない。それをしみじみと感じさせてくれるのが、『シズコさん(新潮文庫)』(佐野洋子/新潮社)だ。本書には、母親と娘ならではの微妙な距離感が巧みに描かれていて、胸が締め付けられる。

 本書はタイトルの通り、著者の母親シズコさんを描いた作品だ。戦争を乗り越え、5人の子どもを抱えて中国から引き揚げたシズコさんは良き妻であり、立派な女性だったが、佐野氏の目には“どうしても愛せない母親”としてしか映らない。

「四歳の時に繋ごうとした手を振り払われた」。2人の確執の始まりは、そんな心のすれ違いから生まれていった。しかし、母親の老いを機に、そんな2人の関係に少しずつ変化が見られ始めていく。

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 体の自由が利きにくくなり、認知症の兆しが見え始めた母を佐野氏は、特別養護老人ホームに入れる。こうした配慮ははたから見れば親孝行のように映るが、佐野氏自身は“姥を姥捨て山に捨てた”と表現している。根深い確執があるからこそ、お金で母親への責任を解決していると感じていたのだ。そんな言葉の裏には、憎み切れない母への愛が見え隠れしているようにも思える。

 血のつながりは怖いものだ。赤の他人であれば「大嫌い」という言葉で絶縁できるが、親となるとそうはいかない。いつか私が思い描いている姿を見せてくれるのではないだろうかという子どもの期待は何度も裏切られ、絶望に変わっていくが、心の底から親を心底憎むことは難しい。

 特に同性同士である母と娘だと、女性にしか分からない嫉妬心や下心が伝わってしまうことも多いように感じる。母と娘は一番近い親友のような存在になれるからこそ、敵対してしまう可能性も秘めている。

 しかし、憎みきれない心があるからこそ、許し合うこともできるのだ。本書の中で佐野氏は母親の老いを通し、大嫌いだった母を違う視点で見つめることができた。初めは母のにおいを感じることも触れることも嫌だと思っていた佐野氏は、50年以上もの月日をかけて、母に触れられるようになり、同じ布団の中へ入り込めるようになった。

何だ、何でもないじゃないか、くさいわけでも汚いわけでもない。

 本書のこの一言には佐野氏から母への許しが詰まっていた。そして、許しが芽生えた後は「ごめんね、母さん、ごめんね」「私の方こそごめんなさい。あんたが悪いんじゃないのよ」という心の対話も生まれたのだ。

「母さん、呆けてくれて、ありがとう。神様、母さんを呆けさせてくれてありがとう」何十年も私の中でこりかたまっていた嫌悪感が、氷山にお湯をぶっかけた様にとけていった。

 何十年恨んだり憎んだりしていても、全て許せるときが来る。それは、やはり親子ならではの絆の深さなのではないだろうか。

 人の老いはこりかたまってしまった心を柔らかくほぐしてくれ、自分の気持ちと向き合うきっかけも生みだしてくれる。本書を読んでいると、老いることは悪いことばかりではないように思えてならない。

 親は最も身近な存在であるため、愛し抜くのも恨み抜くのも難しい。しかし、長い目で見ていけば、掛け間違えたボタンを直すように関係を修復できる日が来ることもある。心から笑い合うのは難しいかもしれないが、「こんな親でも自分にとってはたったひとりの母親だ」と言える日なら、やってくるのかもしれない。

文=古川諭香