娘の「醜い外見」が受け入れられない…『イグアナの娘』から母娘問題について考える
更新日:2020/9/1
萩尾望都・著「イグアナの娘」は1992年、『プチフラワー』(小学館)5月号に掲載された。単発50ページの本作は反響を呼び、その後ドラマ化もされた。
ある日、元気な女の子の赤ちゃん・リカが産まれた。可愛いはずのその娘は、母親の目には本物のイグアナの姿に見えた。イグアナを産んでしまい叫ぶ母親。しかし、母親以外の人間にはただの女の子に見えている。リカが大きくなっても、母親にはイグアナにしか見えない。その後、第2子には待望の可愛い女の子・マミが産まれた。姉のリカと違い、妹のマミは普通の人間の姿をしている。母親はマミを溺愛するが、姉であるリカには過剰に厳しくあたる。
毒親といえばこの作品、といった印象がある『イグアナの娘』。この作品から我々は何を学べるだろうか?
■母親から見るリカ
母親には何か事情があって娘・リカがイグアナに見えているわけではない。産んでみたらイグアナだったのだ。そのおかしな現象の原因は本作で語られていないが、もし母親が自分自身の姿において醜形恐怖症だったのなら、似ている子どものリカを拒絶する理由としては成り立つ。いずれにしろ、リカにとっては不本意な出来事である。リカは母親にブサイクと言われながら気丈に自分自身を生きている。リカも母親以外の人間から見た際には、ブサイクとしては描かれておらず、むしろ美人という設定である。
■リカから見る母親
リカは母親に異様なほど拒絶されて育つ。リカは小さいころは色黒で体が大きく、落ち着きがなかったが、リカ自身にはそこまで母親に拒絶される要素はない。ただでさえ幼少期というのは「親が世界の全て」というほど親に頼るものだ。拒絶されながら、それでもリカは純粋に健気に母親の愛を求める。子どもにとって親は他の大人と違い、最重要と言える存在だ。リカは成長し美貌も学歴も結婚相手も得たが、大人になっても彼女の中では母親の存在が少なからず影を落としていたことだろう。
■現実に落とし込む『イグアナの娘』
では、この物語と母娘の関係を現実に落とし込むとどうなるか。勿論、人間がイグアナを産むことはない。けれども、「母が娘を強く拒絶してしまう」状況があるかもしれない。娘の外見を受け入れられない、性格を否定してしまう、またその両方…。全てのケースに言えるのは「一度拒絶してしまうと簡単に関係は取り戻せない」ということだ。自分の体から産まれたいわゆる分身のようなものを強く否定することは、その関係に深い溝を作る。それを覆すチャンスはあるだろうか? 多くの場合は「互いに」歩み寄らなければ解決しないだろう。
もしくは、それを覆す大きな出来事――本作の中で起こる「ある出来事」のようなことが起きなければ変わるのは難しい。ひとりが関係を改善しようと歩み寄り、いつの日か相手にそれが伝われば最も良い。だが、無理に解決にこだわってもお互いにストレスを感じるかもしれない。その場合「わりきって関係をやめる」「相手から離れる」という選択をするほうが賢明かもしれない。
世の中には「毒親」「拒絶される娘」は残念ながら少なからず存在する。そして、失われた愛情や時間を取り戻そうと苦心している人々がいる。皆さんは本書のような母娘の関係をどう思っただろうか? ぜひ、本作を手に取って、考えてみてほしい。
文=ジョセート