現代のソウルにおける『火垂るの墓』―女装ホームレスとして四つ角に立つ少年の物語
更新日:2018/5/28
いきなり結論を言ってしまうと、『野蛮なアリスさん』(ファン・ジョンウン:著、斎藤真理子:訳/河出書房新社)はまさに現代のソウルにおける『火垂るの墓』だ。
女装ホームレスとして大都会の四つ角に立つアリシアは、ジャケットとミニスカートがセットになった紺のスーツを着て、鳩の羽のような色で鳩の胸のように手触りのいい、愛らしいストッキングを履いている。そしてふとしたタイミングにアリシアの体臭をかぐはずの「君」に、アリシアはオナモミのような小さな棘でしっかり取りつく。アリシアはそれをやるために存在している。なぜかの具体的な説明はない。描かれているのはアリシアがコモリという土地で育ったこと、そして両親と弟がいたことだ。コモリには下水処理場からの悪臭が漂い、田んぼと平地ばかり。でも、どうってことはない。なぜならコモリは再開発後に大規模な高層マンション団地が建つ予定になっていて、そのおかげで古くからの住民は、金持ちになる予定だからだ。
朝鮮戦争で北から逃げ出してきたアリシアの父親は、コモリに住み着きそこで下男として働いていた。たまに飼犬を鍋にしたりもすれば、池で釣った傷ついた魚をリリースするのを趣味にしている。後妻で年の離れた母親は、日常的に子どもに暴力的を振るう「クサレ○○コ」だ。2人の間に生まれたアリシアと弟は、異母きょうだいや近所の人たちから距離を置かれている。弟は母親からノートを買ってもらえず、学校ではバカ扱いされている。実の親やコミという友人はいるものの、周囲と繋がれず孤立しながら生きるアリシアと弟は、まさに『火垂るの墓』の清太と節子を彷彿させる。
コモリは架空の場所だが、作者のファン・ジョンウンさんが住んでいた、ソウル市江西区の空港洞と麻谷洞周辺がモデルになっている。名前の通り金浦空港のすぐ脇にある同界隈は、今でこそマンション建設が進んでいる。しかし朴正煕元大統領が大規模開発をしていた1970年代は、高層ビルの建設が禁止されていた。いわゆる「漢江の奇跡」からはじかれたこの土地には、かつて広い空き地と農地が取り残されていたのだ。だが現実の空港洞と同じくコモリもいずれ再開発されて、高層マンション群ができあがることになっている。アリシアの父は新しいマンションへの入居権を得ている「組合員」の一人で、組合員達の欲望はとどまることを知らない。ギラギラした欲にまみれたのどかな風景の中で、アリシアは丸い生き物の「ネ球」などの幻想的な物語を弟に語る。同時に現実に戻り「クサレ○○コってしょっちゅう言ったり聞いたりしてると、クサレ○○コになるんだぞ」とも言う。しかしアリシア自身も暴力を覚えたことで、野蛮な「それ」に成長してしまう。最も嫌悪していた母そっくりになった彼だから、女装するしかなかったのだとファンさんは明かしている。
そして『火垂るの墓』の節子のようにアリシアの弟もある出来事に巻き込まれ、以来アリシアは1人彷徨い続ける。そこにはどんな感情があるのか。最後まで読み進めても全てをつかみきることはできないものの、大きな「苦痛」で胸がいっぱいになる。それは「かわいそう」「気の毒だ」といった類のものでは決してない。ただヒリヒリとした、自責の念からくる焼けつくような痛みだ。正直読むのはとても辛い。だけど目が離せない。そんな味わいに溢れる小説だ。
韓国語では男女の局部が「寝ようよ」と「見ようよ」に音が近いことや、作中で乱発される「クサレ○○コ」は韓国映画にもよく出てくる「クソ野郎」的な言葉の意訳であることから、原文を読めれば翻訳とは違ったリズムを味わえることだろう。しかし訳者の斎藤真理子さんは日本語に置き換えながらも、原文が放っていたと思しき毒気と暴力、そして痛みと悲しみを掬い上げ、見事におさめている。ちなみにアリシアは、ファンさんが大阪で見かけた女装ホームレスからインスピレーションを得たそうだ。国際情勢や韓流情報ばかりが伝わる日本からは見えにくい韓国の一面を描いた作品だが、主人公のルーツは大阪という。これはある意味、日韓合作(?)と言えるかもしれない。
ファン・ジョンウン作品は1月にもやはり斎藤さんの訳で、『誰でもない』という短編集が晶文社から発売されている。こちらもぜひ、読んでみたい。
文=朴 順梨