「三途の川」の本当の意味、知っていた?
更新日:2018/7/9
はじめまして。『僕らの魂が地球に放り込まれた理由』の著者・石田久二(いしだひさつぐ)と申します。2018年5月25日に発売された本書にまつわるサイドストーリーを、これから7回にわたってお伝えしたいと思います。【2/7回目】
「三途の川」と聞いて、日本人ならだいたいイメージできるんじゃないでしょうか。そう、死後の世界の入口とされ、川の向こうでご先祖様が手招きしていて、行っちゃうとあの世行き。だけど、しばしば後ろから呼び止める声が聞こえ、その声にひかれて戻ってみると、ベッドで寝ている自分を家族が取り囲んでいた、なんて話。
本書の第2章はそんな「三途の川」が舞台となるのですが、とりわけ切なくも筆者が大好きな「賽の河原(さいのかわら)」の話を背景として描きました。「賽の河原」では小さな子どもたちが「1つ積んでは父のため、2つ積んでは母のため」と石を積み上げるのは、親より先に亡くなった罪を償うため。そこに鬼がやってきてせっかく積み上げた石の塔をなぎ倒すのですが、それを救ってくれるのがお地蔵さん。
街中にいるお地蔵さんは涎掛けをしていることが多いですが、それは亡き子が生前に使っていたもので、好きだったお菓子とお賽銭をお供えします。そのお賽銭は「六文銭」と呼ばれ、「三途の川」を渡るための船賃となります。
さて、この「三途の川」ですが、実際に存在するのでしょうか? 残念ながらそれを確かめことは永遠にできないのですが、実は国や文化によってあの世への架け橋は異なると言われます。それはトンネルだったり、階段だったり。
これは仮説でしかありませんが、「三途の川」の正体はインドのガンジス川なんじゃないかと、現地に行って感じがことあります。
「三途の川」は仏教に基づく民間信仰の一つとされます。仏教はインドで釈迦がバラモン・ヒンズー教を批判的に受け継いだ「教え」ですが、当時の原始的な仏教には「三途の川」もなければ、輪廻転生も前世もありません。しかし、釈迦の入滅後、インドでは仏教はすたれ、原始的な部分は上座部仏教としてスリランカや東南アジアへ、そして皮肉にもヒンズーを再編入させる形で中国から伝わったのが日本の仏教です。
上座部仏教には釈迦像(涅槃像などが有名)くらいしかないのですが、日本の仏教には阿弥陀如来、薬師如来、観音菩薩、不動明王など数々の仏像が存在します。それらの仏像(神様)はヒンズー教のヴィシュヌやシヴァの性質を取り入れたものと考えられます。
ヒンズー教徒最大の聖地とされるバラナシのガンジス川では、荼毘に付す教徒が毎日火葬場で焼かれています。火葬場はガンジス川の「西岸」にあり、そこは火葬場だけでなく、寺院はもちろん住宅から学校からあらゆる施設があり、つまり「西岸=生」と位置付けられています。では、ガンジス川を渡った「東岸」には何があるのか? 何もありません。まさに「死」を連想させる不毛地帯が広がっています。
火葬した遺体はガンジス川に流すことで、よりよい人生へと生まれ変わると信じられています。日本の仏教の多くも輪廻転生が前提としており、「三途の川」を渡ることで人は生まれ変わります。日本ではあの世に行く際に「三途の川」を渡ると信じられているのは、もしかしたら、ヒンズー教から仏教へと受け継がれる中で形成された「集合的無意識」にあるのかもしれまんね。あの世のことを「彼岸=東岸(ひがん)」と呼ぶこともあるわけですし。
石田久二(いしだひさつぐ)
メンタルコーチ、講師、旅人、株式会社アンサー代表取締役。夢実現のライブセッションを主宰。大学卒業後、世界を放浪し、大学院、ニート、契約社員を経て2005年に独立。その前年から始めたブログは14年間毎日更新。「宇宙の法則」の実践により、収入、時間、家族、仲間、健康のすべてを満たしたライフスタイルを実現。2004年より天台修験の導師に師事し、滝行はこれまで1400回以上に及ぶ。魂を揺さぶるエモーショナルな講演スタイルに熱烈な人気を博す。