三浦しをんインタビュー 3年ぶりの新作小説は、これまでのどの作品とも異なる読み心地の傑作!
公開日:2018/6/9
少女たちの他愛ない手紙のやりとりから始まり、読者を思ってもみない場所へと誘い、強い衝撃と深い感動を与える、三浦しをんさんの最新作『ののはな通信』。「書簡形式」「明暗の共存」など、三浦さんにとって初となる試みも多い本作は、連載開始時から6年の歳月を経て、ついに刊行された。この物語が生まれた背景とそこに込めた思いをじっくりと訊いた。
三浦しをん
みうら・しをん●1976年東京都生まれ。2000年『格闘する者に○』でデビュー。06年『まほろ駅前多田便利軒』で直木賞、12年『舟を編む』で本屋大賞を受賞。他の著書に『風が強く吹いている』『神去なあなあ日常』など。近著に『ぐるぐる♡博物館』。
危機的な状況の中にある希望とは何か、を書きたかった
『ののはな通信』は、三浦しをんさん3年ぶりの小説の新刊。コンスタントに作品を発表し続けてきた三浦さんとしては「久々の新刊」といえる。読者の期待のハードルも高くなるというものだが、いくら高くしても、この小説はあっさりとそれを超えるだろう。
取材当日、三浦さんが来られる前に、取材スタッフの1人と感想を言い合おうと口を開いた瞬間、声が揃った。「傑作ですよね」。笑い合って、次の言葉を言おうとしたら「衝撃!」と、また揃う。傑作も衝撃も簡単に使っていい言葉ではないが、「揃った」ということは、それがこの小説に最も適した言葉だったからだろう。
「ありがとうございます。自分ではゲラを読んでも『これ、おもしろいのかな?』と確信が持てずにいたので……そう言っていただけて、ほっとしました」と三浦さん本人は、至って冷静。
『ののはな通信』というタイトルが示す通り、“のの”と“はな”2人の女性による書簡によって紡がれる物語。昭和の終わり、高校の授業中に回したメモやハガキから、30年近くを経て現代を生きる40代として交わしたメールまで、膨大なやりとりが収められている。
堅実な家庭で育ち、賢く、愛情深い、のの。はないわく、固くてかじりにくい皮膜の中にやさしさを秘めた「リンゴ飴」。父は外交官という裕福な家庭で育ち、愛らしく、自由な気質を持つ、はな。ののいわく、やさしくてやわらかい、でも一本芯(割り箸)が通っている「綿菓子」。
ののとはなが通う女子高の名前は、聖フランチェスカ。三浦作品の愛読者には、ピンと来る人も多いだろう。
「ずっと前に、『秘密の花園』という小説を書いたんですが、今回2人が通うのは、その時の学校と同じにしようと。この学校の男の先生はみんな生徒に手を出す(笑)」
2人の少女の間に、やがて恋が生まれ、激しく燃え上がっていく。
「はなは、愛情にあふれている人というか……愛しか持っていない。それはいい意味だけではなくて、ちょっと狂気も入っていて。ののとの関係によって、はなの愛はどんどん過激化していった。すごく激しい人なんだと思います。ののは、はなとの対比で言ったらちょっと頭でっかちかな理性の人ですよね。でも愛情に関していうと、理性の人のほうが“じっとり”している感じがしませんか? 理性の人は、なぜこの人のことをこんなに好きなのか?とか自分の気持ちを分析すると思うんですよ。そういう人の愛は、湿り気が高い。静かに持続しそうなのは、ののみたいなタイプの愛かなと。はなは、もっとさっぱり系。ボーン!と爆発したら、『次!』みたいな感じ。どちらのタイプも、近くにいたら大変ですね(笑)」
編集者からの最初のオファーは、「女の子同士の話が読みたい」というものだった。
「女の子同士の話は私も書きたいと思っていたのでいいかな、と。でも『三島由紀夫の短編みたいな話にしてくれ』とも言われたんですよ。『三島由紀夫に、そういう話があったかな?』と意味がよくわからなくて。もうちょっと話し合えばよかったんですけど『あー、わかりました』といつもの安請け合いをしてしまいました(笑)」
女の子同士の恋、ということを強調するつもりはないと三浦さん。
「お互いの性別が何であろうと恋は恋だと思うので」
女性のため「だけ」の物語でも、もちろんない。取材に同席していた男性スタッフが「ののに共感して、ソファに座り続けたまま、一気に読んだ」と語っていたことも付け加えておきたい。
ただ女の子同士の話にしたからこそ、こんなにも壮大な物語になった、とも感じているという。
「書きながら、『男女でこういうことってあるかな?』とも考えたんですけど、たぶんないなと。少なくとも、私は男女では書けないですね。恋人同士だった2人が、いつまでも相手のことを大事に思って、これだけたくさんの言葉を交わして理解しあいたいと思い続ける関係って……たぶん男女では難しいと思うんですよ。私に経験がないだけかもしれませんが(笑)、普通は途中でどうでもよくなる。私の実感としてなんですけど、高校生くらいの時に『これ、恋かもな』くらいな濃度の気持ちがあった友達に対しては、お互いにイラついて『君はどうしてそうなんだよ!』って言いつつも、いつまでも理解することをあきらめない感じがあって。それで、この話を書くのなら女の子同士だよなと思った。男の人は、まずこんなに手紙を書かない(笑)。肝心なことを言わないし、聞かないですからね。それは男性のいいところでもあって。たぶん、言ったら決定打になっちゃうような、関係がよくなるか決裂するかどちらかの言葉を、10年くらいずっと黙っていて、突然言うんだと思うんです。でも女は、その前にすごくすり合わせますから」
新しい生き物になるって、
なんてときめくんだろう!
友だちってだけだったときより、ずっといいわ。
ののに触れられるし、まえよりもっと、
心が結ばれている気がする。
私の勘違いじゃないよね? (はな)
はなと江の島の洞窟を歩いてるとき、
真っ暗な通路の奥のほうで、
いつまでも二人でじっと黙って座って
いられればいいのにと願ってた。
暗い子宮のなかに浮かんでる、二卵性の双子みたいに。
目も手も足もいらない。
受精卵の状態でいい。 (のの)
本当に支えになるものとは何だろう?
互いに唯一無二の存在となった2人だが、それゆえに、ともいえる理由で別れを迎える。それぞれ別のパートナーを得たりしながら、やがて連絡は途絶える。
だが40代になった2人はメールで「通信」を再開。ののはフリーライターとして東京で暮らし、はなはアフリカの国・ゾンダ大使夫人として現地に暮らしている。濃密なやりとりを通して、再びお互いへの愛情を深めてゆく──。
「恋愛もの」というだけでは足りない、30年にわたって続く力強い愛の物語なのだが……冒頭で「衝撃!」と言ったのは、その長い物語の着地点の意外さに、だ。
物語終盤、はなが下すある決断に、「あのはなが!?」と思わず叫ぶことになる。そんなはなの決断を受けて、「変化しない自分を、これでいいのかと思うようになっていた」(三浦さん)ののもまた、別の答えにたどりつく。
他愛のない女子高生の会話に耳を傾けていたはずの読者は、長い時をかけて、思ってもみない場所に連れてこられるのだ。
「2人の状況も、関係も、距離感もどんどん変わっていくけれど、その結果見えてくるものがあって。そこにたどり着くにはそれなりの年月が必要だったのかもしれないですね」
2人の人生が大きく動く、この驚くような展開は、書きながら、なのだろうか。それとも予定していたものなのだろうか?
「最初から、そういうものを書こうと決めていました」
きっかけの1つは、東日本大震災。
「なんらかの大きな危機が、個人レベルでも社会レベルでも襲い掛かってきた時に、本当に支えになるものとは何だろう、とずっと考えていて。東日本大震災が起きる前に書いた『光』という小説があるのですが、それは私の意図とは違う読み方をされることもあったんです」
『光』はこんなストーリーだ。
ある夜、突然の津波に襲われた美しい美浜島は「無」に沈む。中学生の信之と恋人の美しい美花、父親から虐待を受ける小学生の輔は数少ない生存者となる。混乱の中で起こった暗い秘密で結ばれたまま、3人は過去を封印し別々の人生を歩むが──。白か黒かでは語れない、人間の本質を浮かび上がらせる作品だ。
「津波が起きたから、あの登場人物たちはこんな人生になっちゃったんだ……と思った方もいらっしゃるようなんですが、それは私の本意ではなかった。じゃあ実際、津波が起きた後の世界を生きている自分はどう考えているのか。それを書こうと思って。『ののはな』のラストの展開はそんな危機的な状況の中でも、まだ何か人間にとっての希望みたいなものを提示できるとしたらそれは何か、と考えながら書いたように思います」
「なんらかの大きな危機」が起きた時、どんな道を選ぶのか──。震災を経験した私たちの誰もが、そんな問いに直面した。今も答えを探し続ける私たちに、のののこんな言葉がヒントと勇気をくれる。
〈私は、いま私がいる場所で、淡々と暮らしをつづけましょう。いままでとちがうのは、心のなかの本当のあなた、つまり他者と、知識と思考と想像力のすべてを駆使して、対話するよう努めるという点です。心の窓を開いて、世界に、他者に、敏感になる。そうしていれば、きっといつか、あなたの声がはっきりと聞こえてくる気がするのです。都合のいい幻聴ではない、他者との真の理解が成立する瞬間が、訪れると思うのです〉
「自分にとっての都合のいい妄想ではなくて、自分以外の存在について本当の意味で思いを馳せるというのは、すごく難しい。それには感傷ではなくて、何らかの知性みたいなものが要求される。もちろん共感能力もないとだめだと思うんですけど、プラス分析能力的なものも必要になってくる。『うわあ、かわいそう』と言うだけでは本当の意味での想像にはならないし、家でぐーぐー寝ているのと一緒というか……何の役にも立たない」
きっぱりと言いながら、こう付け加えた。
「ただ、いつでも真の意味での想像力を自分に課していたら、それこそ頭がおかしくなっちゃいますしね。塩梅は難しいなと思うんだけれど、出来る限りそうありたい、ということじゃないんですかね……ののは」
ああ、もっと公正な視点から書きたい!
三浦さんは、2人のことを「ののとはなはそうだったんでしょうね」「私はそうは思わないんですけど、ののは……」と自分が生み出した登場人物であるにもかかわらず、かなり客観的な目線で語っていく。
「今まで長編のシリアスな小説では、女の子が主人公のものはあまり書いてこなかったんです。自分が考えていること、感じたことがストレートに出てしまいがちなので、ドリームが入る隙がないというか……。でも、今回は2人と私が完全にイコールではないので、自分の考えを含めつつも、いい距離感で書けました。どっちのこともわかるし、どっちにもわからないところはある。2人が等価に主人公だからかもしれないですね。1人だとどうしてもその人に自分が投影される率があがっちゃいますが、今回は『この2人ってどんな人なのかな?』というのがお互いを通して見えてくる構造にしたので、私が入る隙がなかった」
書簡形式という、三浦さんにとって初めての小説スタイルにしたことで、自身の思いを封印せざるを得ない場面もあったという。
「ちょっと、磯崎さんを悪く書きすぎましたね(笑)」
「磯崎さん」とは、はなの結婚相手となる外交官の男性。穏やかで少し抜けたところがありつつ、要職に就くだけあって鋭さも感じさせる人物。だが、ののは磯崎に対してこんなふうに言って見せる。
〈ちっちゃいな〉
〈はなを愛した女たちの心を、彼は見くびっている。漏れるはずがない秘密なのに、磯崎さんはびくびくしているのです。せいぜい怯えていればいい。つきあっていられません〉
「ののは、磯崎さんにはなを取られたくないとか、その時々でいろんな気持ちがあるから、あの辛辣さですが、私自身は磯崎さんのことを結構いい人だと思っているんです。磯崎さんディス!と思われたくない(笑)。高校の先生に関してもそうだし、2人は男の人のことをひどく言いすぎ。でもそれが当時の彼女たちの気持ちだから……。ああ、もっと公正な視点から書きたい!(笑)。 書簡形式、難しかったですね。手紙にすると、ただの一人称よりも、もうちょっと個人の、内心の声になる。そうすると彼女たちの気持ちをどんどん書きすぎちゃうんです。2人の間ではわかり合っている事実だから、本来手紙の中では説明しないだろうということも、小説としては書かなければならなかったり。手紙やメールの文章としては長すぎるなと思いながら、細切れにするのも読みづらいなと思って長くした部分もありましたし……」
と、初めての試みにいろいろと思うところがある様子。ただ、書簡形式ならではの「何かがありそうな気はする」と手応えも感じ、すでに次作へとつなげようとしていた。
「もっと“書かない”部分を作って、謎解き要素を入れたり、やりようがあったなと思っています。またいいネタを思いついたら、もう少しコンパクトな枚数で、あらためて書簡形式の小説を書いてみたいですね」
初めて明と暗のバランスがうまく取れた
三浦作品は、振り幅がとても大きい。瑛太と松田龍平により映像化もされた『まほろ駅前多田便利軒』のように軽妙なバディもの、駅伝小説『風が強く吹いている』のように爽やかなスポ根もの、『神去なあなあ日常』『舟を編む』『仏果を得ず』などその道のプロに迫る職業ものなど楽しく明るい読み口(もちろんそこには複雑な感情が含まれてはいるのだが)の作品がたくさんある一方、このインタビューでもタイトルがあがった『光』や、ある男の人物像を複数の証言であぶりだす『私が語り始めた彼は』のようにずしりと重いシリアスなものも、三浦作品の大きな柱だ。
読者はその振り幅に驚きつつも、そこに三浦しをんという作家の凄みを味わい、作品を楽しんできた。
三浦さんも「しばらく明るいものを書いてきたので」「今回は暗いものを書きたかった」など、自ら作品の色に言及することも多い。
だが『ののはな通信』には「明暗」どちらの要素もあり、今までにない読後感を与えられた。三浦さん自身はどんなふうに感じているのだろう。
「今回は……“ぼんやり”。どっちつかずですね」と笑うが、それは悪い意味ではないようだ。
「私の書くものは、とにかくいつも極端なんです。何か目標に向かってみんなで力を合わせて成し遂げました!みたいな明るくて単純なストーリーラインを書くか、ド暗いものを書くか。あるいは、男しか出てこないとか女しか出てこないとか。どっちにも過剰で中道を行けない自分をなんとかしたいとずっと思ってきたんです。そういう意味では今回の『ののはな通信』で、自分の中では初めてうまくバランスが取れたと思いました。……あ、でもほぼ女しか出てこなかった……ダメかあ! いつかそれもクリアしたいですね(笑)」
書籍化にあたっては、かなり手を入れたという。
「後半をだいぶ削りました。弁が壊れたというか、抑制が効かなくなって、冗長になってしまったところがあったんですよ。連載で読んでいた方には申し訳ないです。ぜひ単行本であたらめて読んでいただければ(笑)」
連載時も含めると、6年もの長期間、抱えていたことになる本作だが、刊行にあたって、著者としての感想を最後にうかがった。
「個人的には……2人のことを嫌いじゃないなと。2人ともちょっと理屈っぽいというか、考えすぎなんじゃないかとは思うんですけどね。書いている本人のぬぐいきれないまじめさが出てしまっているのかな。そこは今後なんとかしたい(笑)。あとは、あまりにも“2人だけの閉鎖的な世界”みたいなものになってしまったらどうしようという懸念があったのですが、最後まで書いてみて、そうはならないと思えた。その人への気持ちがあったからこそ、より広い世界を知りました──そういうふうになって、よかったなあとほっとしています」
取材・文:門倉紫麻 写真:冨永智子