平成の世に復活した『ウルトラマン』と『仮面ライダー』。昭和のヒーローが蘇る陰にあった物語とは?
公開日:2018/6/14
「特撮ヒーロー」といえば、多くの人が『ウルトラマン』と『仮面ライダー』を思い浮かべるのではないだろうか。しかし実は両作品とも、昭和の全盛期には絶大な人気を誇りつつも、視聴率の低迷や玩具の売り上げ不振により一度はテレビから姿を消している。「ウルトラマン」シリーズに至っては、テレビ局との制作方針の違いから衝突もあったという。しかし、平成の半ばに蘇り、現在も地球の平和を守り続けている。
本書『平成特撮の夜明け』(別冊映画秘宝編集部:編/洋泉社)は、平成の世に活躍する特撮クリエイターたちが、如何にしてこの時代に特撮を生まれ変わらせてきたかを、本人たちへのインタビューで振り返る一冊だ。やはり注目すべきは『ウルトラマン』と『仮面ライダー』の2作品。毎週テレビで観られるため、子供たちが初めて出会うヒーローであろう。そんな2作品は、どうやって復活したのだろうか?
まずは1996年に16年ぶりのテレビシリーズとなった『ウルトラマンティガ』に注目したい。それまでに検討された企画をまとめ直し形作ったのが、『ウルトラQ』から円谷プロで監督を務めてきた重鎮の一人「満田かずほ(かずほの字は「禾」に「斉」)」である。だが、満田はそのまま中心とならず、若きプロデューサーである「笈田雅人」に託したのだ。
笈田は営業部に属していたが元は制作志望で、出版社に自ら企画を持ち込みウルトラマン関連の書籍を出版していた。彼は満田に対し「玉砕してもいいから、自分たちの世代でウルトラマンっていうものを追求して、どういう形になるか見てみたい。とにかく全身全霊ぶつけるからホン作りをやらせてほしい」と意気込みを伝えている。そして、その翌日には「ホン作り」の権限は企画室から笈田に移された。
満田は笈田の実績も見ていたのだろうが、なにより情熱を感じ取っていたのかもしれない。かつてウルトラ兄弟が新しいウルトラ戦士たちへと地球の平和を託していったように、円谷プロの代表的監督が、若きクリエイターに道を託したのだ。その瞬間から、今もこうしてシリーズが続けられる未来は約束されたのだと感じる。
一方、2000年に10年ぶりの復活を遂げた『仮面ライダークウガ』には、すでに実績を積んだ東映のプロデューサー「高寺成紀」が就任。その実績の一つが昭和最後のライダー『仮面ライダーBLACK』とその続編『仮面ライダーBLACK RX』のプロデューサー補なのだから、これほど平成の世にライダーを蘇らせるに相応しい人物はいないと思う。高寺自身「仮面ライダーってものに思い入れのある自分じゃないとうまくいかない」と秘かに自負していた。
そうして送り出された『クウガ』は実にハードな作風で、敵怪人により数多くの一般市民が惨殺され、大人が見てもゾッとするようなシーンもあった。なぜ、そのような作風にしたのか? 高寺としては子供番組を「未来で開かれることになる一種のタイムカプセル」だと思っていたと語り、大人になってから見返すと、大人になったなりの発見があるとも。なるほど確かに、旧シリーズを見返すと当時は気付かなかったことも見えてくる。そもそも『仮面ライダー』は第1作からホラーテイストだったし、市民の犠牲が出ている。そういった意外性を知るたびに、小生はまたその魅力に引き込まれるのだ。
この7月には、兄弟が揃って変身するという新機軸を打ち出した新作『ウルトラマンR/B(ルーブ)』が控えているし、9月には『仮面ライダー』の新作が始まるだろう。平成が終わっても、クリエイターの熱意が続く限りヒーローは何度でも蘇る。小生も一ファンとしてその熱意に負けず応援していきたい。
文=犬山しんのすけ