服役して初めて知った、刑務所の「現実」……『刑務所しか居場所がない人たち 学校では教えてくれない、障害と犯罪の話』
公開日:2018/6/20
あなたは刑務所と聞いて、何を想像するだろう。
さしずめ「和彫りの入った凶悪な面構えの者がゾロゾロ収容されていて、毎日乱闘が絶えない」といったイメージではないだろうか。しかし元衆議院議員の山本譲司さんが実際に刑務所で出会ったのは、認知症のお年寄りや重い病気の人、心身に障害がある人たちだったそうだ。
2000年に秘書給与流用事件で逮捕され、1年2か月の懲役を栃木県の黒羽刑務所で過ごした山本さんによる『刑務所しか居場所がない人たち 学校では教えてくれない、障害と犯罪の話』(大月書店)は、「まるで福祉施設みたいな世界」だった、刑務所の実像について紹介している。
障害と犯罪には、果たして密接な関係があるのだろうか。山本さんに伺った。
■服役者の約2割が、知的障害者
山本さんが刑務所での体験を描いた『獄窓記』(ポプラ社)を出版したのは2003年のこと。黒羽刑務所内で山本さんは、刑務官の補佐をする「指導補助」という役割を果たしていた。重い病気や障害のある受刑者の食事や入浴の手伝いから、排せつ処理までをおこなうのが山本さんの日常だった。ひどい痔を患う受刑者には薬を塗ったり、ゴミと排せつ物だらけの部屋を掃除したりすることもあったそうだ。
「2016年に新たに刑務所に入った受刑者約2万500人のうち、IQの数値でいうと、約4200人は知的障害者である可能性が高い人たちでした。最終学歴は中卒が4割で、義務教育さえまともに受けていない人も多くいます。知的障害がある受刑者は、おにぎりやパンの窃盗、あるいは100円ほどの賽銭泥棒で服役するなど、軽微な罪の人がほとんどです。30円の車上荒らしで、再犯だったため「常習累犯窃盗罪」という重い罪名をつけられ、3年も服役している人がいました。私は2006年に『累犯障害者』(新潮社)という、罪を繰り返す障害者の実態を描いた本を出版しましたが、その頃からようやく福祉関係者も、この問題に目を向けるようになったのではないでしょうか。あれから12年が経ち、徐々にではありますが、出所後の再スタートを支える出口支援制度も充実してきたように思います。しかし、まだまだです。昨年、ある累犯刑務所を訪ねた際に愕然としました。私が黒羽刑務所にいた当時の囚人仲間で知的障害のある人が、現在も累犯者としてその刑務所にいたんです。1人だけではなく、見かけただけで3人はいました。彼らは皆、十数年前に黒羽刑務所を出所したあと、5回も6回も出所と入所を繰り返しているんです。私自身、微力ながら、法務省や厚生労働省にも協力してもらい、この問題の改善に努めてきたつもりですが……。それに今も、毎週のように刑務所を訪れて、障害のある受刑者の社会復帰のお手伝いをさせてもらっています。でも相変わらず、刑務所を居場所にせざるを得ない人がたくさんいる。彼らは刑罰を受けているというよりも、冷たく厳しい社会から排除され、刑務所の中に避難してきているんです。これはやはり、社会全体の在り方に問題があるのではないでしょうか。そこで、こう考えました。社会の写し鏡と言われる刑務所の中で今起きていることを、もっと多くの人に知ってもらいたい。司法関係者や福祉関係者だけではなく、この問題に対して目をそらさずに見ることができる年代の人に伝えたい、と。それが今回、この本を出版した大きな理由です」
ひとたび事件が起きると大抵のメディアは加害者の言動を取り上げ、「凶悪」な犯人像を作りだそうとする。しかし山本さんは、知的障害を持つ服役者は「凶悪」どころか、ある意味被害者なのだと語る。
「2006年1月に山口県の下関駅が放火され、4000平方メートルに及ぶ大火災となりました。この時捕まった当時74歳の男性には軽度の知的障害があり、彼は成人してからの54年のうち、約50年を刑務所や拘置所、留置場で暮らしてきました。子どもの頃から父親に虐待され、近所の子どもたちからもいじめられていた彼は、12歳の時に放火未遂事件を起こしました。補導されて当時の少年教護院(今の児童自立支援施設)に入れられましたが、まるで天国のように感じたそうです。なぜならご飯は食べられるし、暴力もなかったから。だから彼は『いじめや虐待から逃れるには、火をつけるふりをすればいいんだ』と思い込み、放火や放火未遂を繰り返すようになってしまったのです」
この事件では懲役18年の求刑に対して、懲役10年の判決となった。山本さんによると、裁判前に面会した時、「シャバには戻りたくない。刑務所のほうがいい。いじめられないから」と言っていた男性は現在出所し、支援団体の人たちとともに穏やかに暮らしているそうだ。
「重大な罪を犯した人であっても、きっかけがあればがらりと変わるんです。だから社会はルールを破った人にペナルティを与えても、その期間を終えたら温かく迎え入れて包摂すればいいと思います。特に福祉事業者には、そうしてほしいものです。しかし給付金の関係上、軽度の知的障害者ばかりでは福祉施設の運営が成り立たないこともあり、彼らの居場所作りは難しいのが現状です」
■社会から孤立することで、犯罪に追い込まれる
2003年に日本では福祉の基本スタンスが「措置から契約」に移行したことも、障害者の居場所が減ったことに関係しているという。措置制度の時代は障害者が福祉サービスを利用する際に、行政が利用先や内容を指定していた。しかし支援費を給付する制度にこの年から変わって以降、障害者が自分で福祉サービスを選び、事業者と個別契約を結ぶことになった。自分でサービスを決められるようになった反面、契約を断る福祉事業者も現れた。さらに2006年に「障害者自立支援法」が施行されて以降、軽度や中度の知的障害者の人たちに向けた福祉サービス費があがったり、サービスそのものが減ったりする結果を生んでしまった。
「戦後の日本は、精神や知的に障害のある人たちを、自宅に軟禁しておくのが当たり前のような時期がありました。けしからんことに、『座敷牢』も奨励されていたんです。そうしたなか、東京オリンピックがあった1964年、ライシャワー駐日大使が精神に障害のある青年に刺されて重傷を負う事件が起きます。事件後、マスコミは『精神異常者を野に放つな』的な報道を繰り広げました。結果的に、この事件以降、知的障害者や精神障害者は施設や病院に入れられ、隔離のような状態に置かれる時代が続くのです。しばらく我が国の中では、彼らの存在の可視化は難しくなりました。けれども当然の成り行きとして2000年以降、『障害者の地域移行』という国際的な流れのなか、障害者の自立が促されるようになりました。ところが今まで施設に預けられっぱなしだったのに、突如自宅に戻ってくることになった障害者を負担に思う家庭もあります。また地域も、決して温かくは迎えてくれない。このように社会に移行できたものの、家族にも地域にも疎まれることが、刑務所を居場所にせざるを得ない人を生み出してしまう結果に繋がるのです」
■障害があるからといって、罪を犯しやすいわけではない
山本さんは、「知的障害者や発達障害のある受刑者のほとんどが、福祉や家族から見放され、挙げ句、何日も食事がとれないほどの困窮状態におちいり、窃盗や無銭飲食などに手を染めることになった」と言う。また、重い罪を犯した人の場合は、社会に蔓延する同調圧力に耐えられず、「空気が読めない」と虐げられ続けてきた辛さが、何らかの刺激によって犯罪に結びついたと見ている。しかし同時に「障害があるからといって、罪を犯しやすいというわけでは決してない」とも強調する。
「裁判で『反省しています』と言えれば刑が軽くなることがありますが、知的障害のある人は自分からそれが言えないことも多い。それに、法廷内の重い空気に耐えかねて、つい笑ったり、突拍子もないことを口にしてしまったりして、裁判官の心証を悪くすることもあります。一方で、裁判官はこうも考えているのではないでしょうか。『目の前にいる被告人の現在置かれている状況を考えると、社会に戻すよりも、寝床と三食が用意された刑務所に行かせたほうがいいだろう』と。これは、障害のある人に限ったことではありません。要するに、極度の貧困状態にある人には、刑務所というセーフティーネットを利用させようとするのです。ですから、障害のある人が大勢いる刑務所の現状は、『健常者よりも障害者のほうが、より生きづらい社会である』という我が国の現実を如実に物語っているのだと思います」
障害のある服役者は決して「対岸にいる彼ら」ではなく、自分と同じ人間でしかない。だから「自分たち」「彼ら」と分けて考えるのではなく、同じところに目を向ける必要があるとも言う。
山本さんは出所後、最重度の障害者が入所する福祉施設で働いていた。寝たきりで言葉を話さない人でも、同じ目線で接すれば、自分と同じく、喜んだり悲しんだりしながら日々の営みを繰り返していることがわかるという。重い障害があっても、「何もわからないかわいそうな人」ではなく9割9分は私たちと変わらないし、軽度の知的障害者に至っては、ほぼ何も変わらないことに気づいたのだそうだ。
「だから障害のある人を排除することは、ひいては自分を排除することにも繋がると言いたいんです。一見自分とは違うと思っても、同じところを探せばたくさん見つかるはず。その視点は残念ながら福祉現場にいる人でも欠けていることがあって、人によっては、まるで障害者をモンスターのように思っている人もいます。障害があるだけでもモンスターなのに、ましてや罪を犯したとなったら何重にもモンスター化しますよね。でも彼らはモンスターでは決してなく、あなたと同じ人間ですと言いたい。
私も服役前は、自分のことを棚に上げて、刑務所にはどんな悪党がいるのかと戦々恐々としていました(苦笑)。でも、いざ入ってみたら怖い人なんて全然いないんです。それよりも障害のある人が多いことに、心底驚かされました。けれども、障害のある人のお世話をしていくうちに、『同じ受刑者同士、同じ人間同士』と強く思うようになったんです。とはいえ相手のことを知らないと、以前の私のようにビクビクして当然ですよね。だからこの本を通して、障害と犯罪の現実について知ることから始めてもらえればと思います」
取材・文=今井順梨