思わず人に言いたくなる…! アメリカと野球と文化を駆け巡ると見える「イイ話」

スポーツ・科学

公開日:2018/6/20

『人に言いたくなるアメリカと野球の「ちょっとイイ話」』(向井万起男/講談社)

 アメリカと野球。その歴史や文化との繋がりは、ものすごく奥深くて幅広い。私自身も経験がある身近な例で言えば、「ballpark(ボールパーク)」という単語。アメリカンフットボール、バスケットボール、サッカーなどさまざまな人気球技はあれど、アメリカで「ballpark」と言えば、昔から「野球場」のことを指す。野球に興味のない人も知っている一般的な用語だ。

 アメリカ四大スポーツの1つ、大リーグを知れば、アメリカがわかると言っても過言ではない。ちょっとおおげさに聞こえるかもしれないが、こうした真理を豊富な知識と経験で裏付けながら、軽快なエッセイ風に綴った『人に言いたくなるアメリカと野球の「ちょっとイイ話」』(向井万起男/講談社)が上梓された。

 著者の向井万起男さんは、日本人女性初の宇宙飛行士で医師の向井千秋さんの夫としても知られている。ご本人も医師。その飽くなき探究心と行動力は、北米大陸を縦横断するスケール感で夢とロマンに溢れている。同書は言うなれば、万起男さんによる“アメリカ野球歴史紀行的大エッセイ”。大リーグ好きだけでなく、アメリカ好き、旅好き、歴史好きも楽しめる。

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■アメリカ内陸部の温かい人たちとの交流、「フィールド・オブ・ドリームス」の舞台

 万起男さんは、アメリカを巡りまくる。とにかく車で何千何万キロと走りまくって、田舎の小さな町にいた大リーガーの足跡を、自分の目で見て確かめる。日本ではめったに名前も聞かないような人口数百人、数千人規模の小さな町へ赴き、ひっそりと佇む博物館や記念館を訪ね、関係者や親戚と出会い、時に市長や警察とも親交を温めてしまう。

 渡米するときは、必ずバットとグローブを持ち歩くのだそう。そして、時にアメリカ人に交じって草野球に飛び入り参加。イチローのポーズを真似しては、「イッチロー!」と声を掛けられ、盛り上げる。シニアと呼ばれる世代にして、永遠の野球少年のようなのだ。その一方で経験値と人間力に加え、大リーグやアメリカの情報量は達人レベル。どこに行っても、唯一無二のエピソードが生まれるわけである。

 アメリカの歴史で文化でもある野球は、映画や本の題材としても数え切れないほど取り上げられてきた。そうした側面からも、切り込んでいく。ジョージ・クルーニーが、大リーグのテストを受けていたなんて逸話もちょっとした小ネタとして次々と出てくるのだから、映画や本好きにもたまらない。

 大リーグにまつわる日本でも最も有名な映画といえば『フィールド・オブ・ドリームス』だろう。同作は、ウイリアム・パトリック・キンセラの小説『シューレス・ジョー』が原作の傑作ファンタジー。トウモロコシ畑を営む主人公が野球場を造ると、過去の大リーガーが次々と現れ…。

 作中の舞台は映画のロケのため、実際にトウモロコシ畑を潰して野球場にしたそうだ。場所は、アイオワ州ダイアーズビル市。映画製作以来、大勢の観光客が訪れる人気の観光スポットとなっている。万起男さんは映画も小説も原作本もすべて網羅し、舞台の“野球場”にも足繁く通っている。

■教師、医師、犯罪者、スパイ。大リーガーと叙事詩

 同書で取り上げられている歴代の大リーガーには、驚くべき経歴の選手がたくさんいる。高校の理科の先生から大リーガーになりその経緯が映画『オールドルーキー』になったジム・モリス。引退後、ミネソタ州の小さな町で人望厚い医師として長年貢献し、地元のパレードに名前を冠しているムーンライト・グラハム。デトロイトの黒人街出身で強盗を犯して収監されながら、大リーガーとして9年も活躍したロン・ルフロア。

 なかでも、驚かされたのは、第二次世界大戦中にスパイとして暗躍した元大リーガーがいたこと。名門のプリンストン大学で言語学を学んだモー・バーグは、15年ほど大リーガーだった上、弁護士資格も取った秀才のなかの秀才だったようだ。

 スパイとなったバーグの任務は、ノーベル物理学賞も受賞していたドイツの物理学者ヴェルナー・ハイゼンベルクの誘拐と殺人。当時、アメリカはドイツが先に原子爆弾の開発に成功するのではと懸念し、バーグを送り込んだ。だが、バーグはハイゼンベルクの講演を聞き、ポケットに銃を忍ばせて夜道を二人きりで歩いて話した結果、ドイツが原子爆弾をつくっていないことを確信し、誘拐も殺人もしなかった。

 もし、バーグが夜道で任務を実行していたらアメリカの歴史も変わっていたに違いない。

 人の命や人生と深く関わる職業でもある医師だった万起男さんの視点は、懐が深くとても人に優しい。その上、珍道中をもネタにする底抜けの明るさも相まって、ためになって、考えさせられて、それでいてクスリと笑ってしまう。タイトルの「人に言いたくなる」話ばかりなのだ。

 他にも、ボストン・レッドソックスの本拠地でニール・ダイアモンドの「スイート・キャロライン」が流されるようになったきっかけや、ヤンキースタジアムで(他の球場でもあるけれども)、ヤンキースの投手が相手打者を2ストライクまで追い込んだときに手拍子をするようになったわけも、同書では詳らかにされていることを付け加えておきたい。

文=松山ようこ