だって教えてくれなかったじゃん!! 誰にも相談できなかった「セクマイ(性的少数者)」の悩み
更新日:2018/7/2
評論家の勝間和代氏が同性愛を告白し話題になったが、漫画やアニメなどでは珍しくもなく、私はさして気にも留めなかった。しかし、フィクション作品で知った気になっているのは気がかりでもあるため、全国の「セクマイ」から寄せられた相談や自身の体験談を描いたコミックエッセイ、『学校では教えてくれない「セクマイ」の話』(新井祥/ぶんか社)を読んでみた。
表題の「セクマイ」とは、セクシャルマイノリティ(性的少数者)の略称である。最近では、性の自認の不一致や同性愛者を指す用語としてLGBTが認知されるようになってきているものの、性同一性障害と性的指向を一緒にすることに疑問を持つ声や、性別が非定型なインターセックス(性分化疾患)も加えるべきといった意見が入り乱れており、「セクマイ」というゆるやかな括りの方が私にはシックリくるように思えた。
作者自身は30歳まで女性として暮らしてきて、染色体検査によりインターセックスと判明し、縮胸手術を受けたそうだ。そんな作者の「心の分類」はといえば「Xジェンダー(男でも女でもない性自認)」で「中性」として生きたいのに、社会的には男として暮らしているとヒゲを「ダンディーでいいですね!!」などと云われ男の自覚が刷り込まれて、逆に女として見てくる人がいると性の自覚がゆらぎ、混乱した挙げ句に「イラッとして」ヒゲを剃るのだとか。
この中性に関する問答が興味深く、若いうちは男らしさや女らしさといった性別全開の人でも、歳とともに男性ホルモンと女性ホルモンの分泌量が変化して、筋肉質の男性がフワッとしたボティーラインになったり、女性でも声が低くなったりという具合に一般的な男女ですら「多少なりとも中性化する」と作者が述べると、元アシスタントで現パートナーが「加齢とともに性の記号がクッキリ出てくる人も多い」と反論していた。一方の話を読むたびに、なるほどそうかもと思ってしまう私の単純さに呆れるばかりだ。
造語がポンポンと飛び出してくる本書で、単純な思考の私が感心したのは「セク保」という考え方。自分は「男にも女にも性愛の感情を抱かないタイプ」なのではないかと作者に相談した20歳の女性に対する答えは、「まだ若いから」判定できないというもの。学生のうちは同世代に囲まれていて、環境的にも狭い範囲での出会いになってしまうため、「好きになれる人がいなかった」だけの可能性があるからだ。そのため、いろんな世代の人と知り合う年齢になるまでは、性的指向であるセクシュアリティを保留する、それが「セク保」という次第。
それこそ本書は、セクマイには興味が無いとか、そもそも拒絶感があるという人にも読んでもらいたい。例えば、まだ親しくなっていないのに「見ぬいてくる人」については、社会に溶け込もうとしているセクマイからしてみれば、理解を示してくれているというより攻撃されているのと同じと断じている。一方、カミングアウトするセクマイの中には「差別する気!?」と、相手がミットもバットも用意していないのに、ボールを投げつけるのと同様な「アピール一辺倒」の人もいて、作者はそれを「アピりすぎ症候群」と命名している。もちろん、カミングアウトしたことで友達グループの中で悪口を云われたという相談も。悪口で人とつながるタイプはグループのみんなも悪口好きなのだから、縁を切る「チャンス」というのが作者の答えだ。
セクマイに限らず、生きていくうえで何かしら悩みがあるのは当たり前のこと。そしてそれは云わなければ伝わらないし、他人に全てを理解して受け入れてもらうなんてのは無理というもの。つまるところ人は、誰しも個人というマイノリティなのだから、他人の存在を認められないとなったら追い出されるのは自分の方かもしれないと思わされた。
文=清水銀嶺