ジャパネット髙田明feat.世阿弥。意外な組み合わせが光る600年の時を超えたエール
公開日:2018/6/26
世阿弥(ぜあみ)は室町時代初期の猿楽師だ。現代に伝わる能の基本を作った能役者であり、能作者だ。その著書『風姿花伝』や『花鏡』は跡を継ぐ者に向けて書かれた芸術論だが、その領域だけに留まらず、現代の私たちの日常にも役立つ哲学の書と言える。「初心忘るべからず」「秘すれば花」といった言葉は聞いたことがあるに違いない。どちらも世阿弥の記した言葉だ。
その世阿弥の言葉に影響を受けたのが髙田明、みなさんご存じ「ジャパネットたかた」の創業者だ。髙田氏はある時、世阿弥についての本を読んだことがきっかけで彼に興味を持つようになったという。『髙田明と読む世阿弥』(髙田明:著、増田正造:監修/日経BP社)は、髙田氏が経験から得た「成長のルール」を世阿弥の言葉に乗せておくる1冊だ。髙田氏と世阿弥という意外な組み合わせだが、そこには「夢」を叶えるための言葉が溢れている。
■自分の力では変えられないことで、必要以上に思い悩まない
何をやってもうまくいくときもあれば、どんなにがんばっても駄目なときもある。世阿弥はそれを「男時(おどき)」「女時(めどき)」と表現した。『風姿花伝』の中ではこう説明している。
「時の間(ま)にも、男時(おどき)・女時(めどき)とてあるべし」
男時とは、勝負ごとにおいて自分の方に勢いがあるとき、女時とは相手に勢いがあるときのことを言う。
髙田氏はそれを受けてこう綴る。「私はこれまで生きてきた中で、眠れなかったことは恐らく1日、2日もないと思います」。なぜなら、くよくよ思い悩まないからだそうだ。起こったことを受け入れて、前へ前へと進んでいく人生を送ってきた。「人の悩みの99%は、悩んでもどうにもならないこと」と受け止め、自分で変えようがないことで息苦しくならないようにしているという。
■ライバルは昨日の自分。慢心は落とし穴
世阿弥は役者の輝きを「花」に例えた。青年期の役者は声変わりも済み、体格も一人前になり、初々しさも相まって、経験を重ねた名人よりも高い評価を得ることがまれにあるという。それについて世阿弥はこうクギを刺した。
「時分の花をまことの花と知る心が、真実の花になほ遠ざかる心なり」
「一時的な花を本当の花であるかのように思い込むと、真実の花になる道から遠ざかってしまう」という意味だ。
髙田氏は「今の自分を完成形だと思ったとき、成長は止まる」という。彼自身まだまだ成長の途上にあると感じているそうだ。生きている限り、自己を更新することができる。その生き方を貫く。彼が「何か言葉を書いてほしい」と一筆頼まれたときによく書くのが「夢持ち続け日々前進」。もとは小さなカメラ店だった会社を、売上高1700億円を超える知名度の高い大企業へ変えた彼が記すからこそ説得力のある言葉だ。
本書はビジネス誌『日経トップリーダー』の連載「髙田明と読む世阿弥」を再構成して大幅に加筆したもの。能研究の第一人者である増田正造氏が監修し、能に詳しくない初心者でも楽しく読める内容の濃い解説4編を寄せている。髙田明氏が600年の時を超えて出会った世阿弥の言葉に、あなたも触れてみてはいかがだろう。
文=ジョセート