もしも大切な人が過労自死したら…? ブラック企業をテーマにした社会派小説

文芸・カルチャー

公開日:2018/6/30

『風は西から』(村山由佳/幻冬舎)

 もしも大切な人が“過労自死”という道を選んでしまったら、遺された自分にはなにができるのだろうか。人気小説家・村山由佳氏による『風は西から』(幻冬舎)は、現代社会の労働問題をリアルに描いた問題提起本でもある。

 主人公の伊藤千秋は、恋人である藤井健介と幸せな日常を過ごしていた。しかし、2人の幸福は、健介の就職を機に少しずつ壊れ始めていく。健介の就職先は全国展開している居酒屋チェーン店「山背」。朗らかで正義感の強い健介は地元・広島で両親が営んでいる居酒屋を継ぎたいと考え、カリスマ性溢れた創業者・山岡誠一郎の熱い企業思想に惹かれて、ワンマン経営を行っている山背へ就職した。しかし、健介を待っていたのは、あまりにも過酷な労働環境だった。

 山背では最初の数年間のうちに正社員として採用した新卒をさまざまな部署に配属し、業務の大半を経験させる仕組みをとっていた。そのため、健介は本社の営業部や広告部に所属した後、都内でも特にハードな駅前店で店長見習いとして働き始めることになった。

advertisement

 3カ月働いて休みはたったの2日間。激務の中、社長の名言本を1冊丸暗記。参加しないと上司から罵倒を受ける任意研修。それが健介の日常になっていき、彼の心はゆっくりと、しかし確実に壊れていく。

 日に日にやつれていく恋人の姿を目の当たりにし、千秋は「無理だけはしないで」と声をかけ続けるが、責任感の強い健介の心には響かない。そして、次第に千秋の言葉を曲げて受け取るようになってしまった健介はついに、「ごめん」の1行を千秋に送信し、自らの命を絶ってしまった。生前、千秋は健介の心を楽にしたい一心で、山背の労働環境への疑問を彼に投げかけていた。

努力が足りないとか、思わないでよ。それってもう、健ちゃん個人の努力でどうこうできるような問題じゃないよ。一社員にそこまでひどい負担をかけなきゃやっていけないような会社っていったい、何なの?

 千秋が口にしたこの言葉は、現実社会の過酷な労働環境の中にいる人へもかけたくなる正論である。しかし、全てに疲れ切ってしまった人の心に正論は響きにくい。

 第三者からすれば、会社の問題は労働組合を作ったり転職したりすれば解決できるように見えるかもしれないが、心に劣等感を植え付けられていると、自分自身に価値がないように思えてきてしまい、行動を起こせなくなることもある。

 筆者も実際にワンマン社長のもとで働いていたことがあったが、会社を辞めるという選択肢が選べなくなり、「うちでダメなら、どこへ行ってもやっていけないよ」という社長の声が常に頭の中を巡るようになってしまった。上司やトップに立つ人間に自分の人格を否定されると、心は簡単に死んでしまうことを身をもって体験した。

 日本の企業には体育会系な繋がりが求められることが多い。しかし、実はそれも死にたい心を作ってしまう原因のひとつになっているのではないだろうかと筆者は思う。ブラックと呼ばれている企業以外にも、身を粉にして尽くすことが美徳だと考えている企業は多いだろう。しかし、心や身体を壊してまで会社に自分を捧げることは本当に美しいことなのだろうか。

企業に勤め、それなりの責任を負って働く以上、何から何までギブアンドテイクというわけにはいかない、とか。会社の一員である以上、ある程度の体力的な無理、あるいは無償の奉仕が課せられてしまうのは仕方がない、とか。けれど、果たして本当にそうなのだろうか。

 小説内で千秋が抱いたこの疑問は、現代社会の労働環境の問題点を浮き彫りにしているようにも思う。仕事は生きていくためにするものであって、命を落とすためにするものではない。だからこそ、現在、過酷な労働環境の中に身を置いている方は「今の自分は心を殺しながら仕事で苦しんでいないだろうか…」という言葉を自身の胸に今一度、問いかけてみてほしい。

 近年では厚生労働省も労働基準関係法令違反の疑いで送検された企業リストをHP上で公表してブラック企業対策に乗り出しているが、表だっていないブラック企業も数多くあるはずだ。そして、ブラック企業で働いていなくても自分の心が限界だと感じてしまうこともある。

 そんなときは逃げ出してしまってもよいし、思い切って周りの人に頼ってみるのもよい。心の悲鳴に気づかないフリをして死んだまま働き続ける毎日は、もうやめよう。

文=古川諭香