どうせいつか別れることになる。そして別れを切り出すのは、私からではない。

恋愛・結婚

更新日:2018/7/9

『真夜中乙女戦争』(F/KADOKAWA)

 人生ではじめてデートで行った場所は覚えている。十八歳、初恋。東京タワーだった。
 なにを着て、なにを話したかはもう忘れた。夢中だったのだ。きっと相手もそんなことは忘れている。彼女は八月生まれの女の子だった。よく笑い、よく泣き、よく怒る、誰にでも好かれる素直な女の子だった。

 どうして東京タワーを初デートの場所に私が選んだかは、今でも覚えている。ばかばかしいほど単純だ。

 どうせいつか別れることになる。そして別れを切り出すのは私からではない。私とは正反対の、明るく、大胆で、よく話す彼女から、いきなり別れが切り出されるに違いない。なぜか私にはそれが分かった。分かってしまっていた。
 そうであるなら、いかにもありがちな、いかにもベタな場所に、この人生初デートという輝かしい記憶を塗り込んでしまえと思った。そうすれば痛くない。簡単に忘れられるに違いないと思ったのだった。

advertisement

 案の定初デートの三ヶ月後に彼女には振られた。振られた理由は単純だ。「大学の授業にまともに行かないし、美容院にも行かないような男は、将来性がない」という理由からだった。真っ当である。本当はもっと別に深刻な理由があったのだと思う。
 振られた直後の人間が大抵そうするように、三日間ベッドにうつ伏せで眠り倒した後、七日間パイの実だけを貪り食い、パイの実にも惰眠にも飽きて、なんとか立ち直った。

 そうしてそのまま大学の授業にも行かず、美容院にも行かず、東京タワーが見える芝公園に毎晩行き続けた。意味もなく。気色悪い男はみなそういうものである。無意味に同じ場所に行くのである。

 バイトをしても辞めては繰り返し、大学一年前期の時点で留年が確定。親からは殺すぞとメールで叱られ、みるみる金は減っていく。でももう私にはなぜかすべてがどうでもよかった。何ヶ月も何ヶ月もひたすら東京タワーを見続けた。東京タワーが赤いのは、異常な熱量の視線を私が送り続けたからだと今でも思ってる。

 そして3.11が起こる。
 本震直後ツイッターで「東京タワーの避雷針の先頭が地震のせいで曲がった」と聞いた瞬間、家を飛び出て、東京タワーに早歩きで行った。地下鉄は止まっていた。鉄塔を芝公園から見上げる。ちっとも曲がっていなかった。

 この時、気付いた。
 私は東京タワーに倒壊して欲しかったということに。単位も友達も金も夢も、なりたいものも何もない私は紛れもなく、今すぐ東京タワーに、あるいは東京に滅びて欲しかった。

 これは「失恋で落ち込んで病んじゃいました★」なんて話ではない。思うに私たちは、失恋それ自体のせいで落ち込むのではない。いつかなにもかもが何にもなかったかのように終わり、いつとも知らぬ日に確実に死ぬ、という虚無が、失恋をきっかけに思い出されるだけなのである。

 あるいは駅の階段を下りる時とか、SNSをスクロールする時に襲ってくる虚しさ、気だるさ、寂しさの正体は全部、これだと思う。これはものすごい強敵なのだ。なぜなら「いつか死ぬのにいまどうして生きてるのか?」という問いの答えを、人は用意できない。用意できても、その答えに裏切られる可能性がある。その時、その人は、生きていけなくなる。

 そんな虚しさ、そんな問いに、真正面から戦う人間を『真夜中乙女戦争』という小説で描いた。
 主人公は大学生。大学が嫌い。インスタもフェイスブックもツイッターも嫌い。パリピもパリピのバーベキューも心底軽蔑する、どこにでもいるような大学生が、気がおかしくなるまで東京タワーを眺めた結果、東京を破壊し尽くそうとする話だ。

 東京は梅雨が明けた。夏である。平成最後の、長い長い夏である。暇で暇で、ついでに熱中症になりかけて、人がみなおかしくなる季節である。この夏、予定もなく、手帳は真っ白、お先は真っ暗な人間に、私はこの小説を捧げたい。