「ムショ帰り」のムショは「刑務所」ではない? 大人のための、知っていると差がつく雑学
公開日:2018/7/13
薀蓄は過ぎると人に嫌われるけれど、会話の材料にはなる。私の場合、初対面の人にはどんな話題を振れば良いのか分からず、周囲をキョロキョロ見回して話題を探した挙げ句に結局は天気の話でお茶を濁し、また沈黙が続くなんてことがしょっちゅうだ。コミュニケーションの指南書には、話題を連想ゲームのように広げていくテクニックが載っていたりするものの、その最初のキッカケが思い浮かばない。そこですがったのが、この『知っていると差がつく知的雑学 知識の博覧会』(曽根翔太/彩図社)という次第。
本書は一つの話題につき1ページの構成なので、どこから読んでも差し支えない。私のように話題の材料にしようという人は、自分なりのテーマを決めて拾い読みしたほうが、後で思い出すのに適しているだろう。
差し当たり、私が興味を持ったのは名前に関することだ。人との待ち合わせの連絡はもちろん、待ち合わせ場所へのナビゲートにも使うスマホを胸ポケットなどに入れていて、「あれ? 今スマホが鳴った?」と思い端末を確かめるも、特にメールや電話を受信していなかったという経験は、私だけではないと思う。この現象には「ファントム・ヴァイブレーション・シンドローム」という名前があり、日本語では「幻想振動症候群」と呼ぶそうだ。自分のスマホが鳴動した気がして、といった感じで話題に出せば自然な会話につながるのではないか。
相手と喫茶店などで軽食を一緒になんてことが午後の3時頃なら、「おやつの時間は2時が正しい?」という話題も使えそう。「おやつ」の語源は、江戸時代にお寺の鐘が時計の代わりとして鳴らされ、鐘を八つ撞く今の2時頃にお菓子を食べる習慣があったからということなので。
これが居酒屋だと、店主に「おあいそ!」なんて声をかけて支払いをしている人はいないだろうか。本来は店主が「愛想がなくてすみません」と謙遜する言葉を、客の側が使うのは失礼と指摘する人がいるけれど、本書によると失礼では済まされないようだ。というのも昔は、お勘定の1割程度をツケにするのがお店とお客との信頼関係を表していて、その店に愛想を尽かして二度と来ないと決めたときに「お愛想する」と云ってツケを全額支払い、他の店に移るのを宣言するものだったから。
その支払いについては相手との関係によっては、割り勘ではなく奢り奢られということもあるはず。気前が良い人なら、細かい金額を考えずに「どんぶり勘定」となるかもしれないが、この「どんぶり」は器の丼とは無関係。江戸時代の職人が付けていた胴巻きのことを指し、そこに財布や煙管(きせる)などの小物を入れており、後先考えずに胴巻きからヒョイヒョイとお金を払うことを、いつしか「どんぶり勘定」と呼ぶようになったのだとか。
腹ごなしと、より親交を深めるため、ちょっと散歩でもしながら帰りましょうとなると、「散歩の語源は薬と関係していた」なんていうのもある。古代中国では「五石散」という現代の「麻薬などに値する」(原文ママ)精神薬が流行し、この薬を服用して体がポカポカと温まる作用を「散発(さんぱつ)」と呼んで、散発を促すために歩く行為から「散歩」という言葉が生まれた。健康に良いイメージの散歩が、なんだか現代だと警察沙汰になりそうな話だ。
それこそ、「ムショ帰り」のムショは「刑務所」ではないという話は、どんなタイミングで使えば良いのか分からないけれど、江戸時代には牢屋が虫カゴのような形をしていたため「虫寄場(むしよせば)」と呼ばれていたのが省略され、「ムショ」という隠語になったそうで、現代まで受け継がれているのには驚いたし面白いと思った。まだまだ話題は尽きないので、相手に引かれない程度に本書を活用してみよう。
文=清水銀嶺