520名が犠牲になった33年前の日航機墜落に新証言。地元民たちが目撃した光景とは!?
更新日:2022/8/10
■迷走し、墜落していくジャンボ機を見ていた地元の子どもたち
本書が提示する新証言の中でも、これまであまり報道されて来なかったのが、子ども
から大人まで、多数の地元の人たちの目撃情報や証言などである。
墜落現場の上野村では、小学生による文集『小さな目は見た』(85年)、中学生たちの文集『かんな川5』(85年)が編纂された。青山氏はこれらの文集に掲載された子供たちの目撃情報を精査し、さらに、大人の証言者たちにも会いに行き、墜落当時のリアルな光景を本書で再現している。
さらに、取材を通して得た、他の証言・証拠も提示しつつ、著者は「事故ではなく、事件ではないか」と訴えるに至っている。
つまり、本件は修理ミスに起因する事故ではなく、「外部要因によって墜落させられた事件であり、それを隠すために組織的な隠ぺい工作が行われ、意図的に現場の特定や救出等も遅延された可能性がある」ということだ。
当時、いちばん悔しい思いをしたのは本書に登場する、当時の上野村の村長ほか、村民の方々だったのではないか。彼らは事故発生直後、墜落現場をいち早く伝えるため、あらゆる努力をした。しかしすべて無視され、事故現場の特定が13日の午前5時になるなど、遅れに遅れた。
事故現場を隠したかったのではないか? でも、いったい誰が何を隠したかったのか?
そんなことを少しでも知りたいと思った方は、ぜひ、本書で本件に関する公表されていない事実を知ってほしい。
忘れられた時がほんとうの死。本書によれば、事故現場の名称は御巣鷹山ではなく、正しくは「高天原山(たかあまはらやま)」だという。
神々の山という別名を持つ山に迎えられた多くの命があったこと、そして、そこにはまだ隠された真実がありそうだということを、私たちは忘れてはならないのだろう。
文=町田光
(本記事は2018年7月掲載時の内容になります)