クソにまみれた戦場で、兵士たちは明日の見えない今を生きる。ミリタリーSF『戦士に愛を』
公開日:2018/7/26
戦争はなぜ起こるのか。歴史を振り返れば愚かしさや凄惨さは一目瞭然なのに、今も世界のどこかで行われている武力紛争。古代ギリシアの歴史家トゥキディデスは、戦争原因の3大要素には名誉心、恐怖心、利得心があると説いた。だが、時の為政者、あるいは国民感情が戦争を引き起こしたとしても、実際に戦うのは兵士たちである。
『戦士に愛を』(双葉社)は、近未来を舞台に戦争の生々しさを描いたミリタリーSF。元はニコニコ静画で三浦秀雄さんがあかさたな名義で連載していた作品で、現在は第2巻まで刊行中で、9月には第3巻が刊行予定だ。
■人生を選べないまま戦争へと駆り出される“人造人”たち
主人公のウィズは“人造人”だ。人為的に作られたことを除けば、人間とそれほど見た目や能力に違いはない。だが、彼らは常に人間たちから差別と迫害を受けていて、劣悪な環境で働くことを強いられている。
舞台は政府機構と連合による戦争が200年にわたって繰り返されている世界。殺し合いに疲れた人間たちは機械兵を作って戦わせたものの、『ターミネーター』のごとく暴走して人間を襲撃。その駆除のために化学兵器を用いた結果、大地はおびただしく汚染されてしまう。それでも人類は懲りずに、今度は人造人に代理戦争を始めさせた。ある種のディストピアがこの世界を覆っている。
人造人の寿命は40年。それ以上を生きるには社会貢献を政府に認めてもらい、再活性してもらう他にない。仕事も住居も失い、行き場をなくしたウィズは、やむを得ず兵士になることを選んだ。
■戦場を生きるために必要なのは“勇気”より“狂気”
化学兵器で腐りただれた廃墟。敵味方が入り乱れ、雨のように飛び交う銃弾。なぜ戦うのか、今はどんな戦局なのか、状況も分からないまま命令どおりに戦地に赴く人造人たち。憎しみ、殺し合って、死体だけが増えていく。まるでこの世の地獄だ。
映画『フルメタル・ジャケット』で、天下一品の口汚さで有名なハートマン軍曹は、訓練生たちに「戦場で生き残りたいと思うなら、殺りく本能を研ぎ澄ますことだ。ライフルは道具に過ぎん。殺しは鉄の心臓がやる」と言った。中途半端な覚悟はトリガーを引くタイミングを遅らせ、自らの命を縮めることになる。生き残るために、躊躇なく殺すために、人はまともな精神ではいられない。
ウィズは初めての戦闘で、敵を撃ち殺した。「ほらなウィズ。簡単だろ、敵を殺すのなんて」。そう言った仲間は、隣で頭を吹き飛ばされて死んだ。「今日の俺は昨日の俺よりクソだ。明日の俺はもっとクソ野郎になってる」。連合兵にとどめを刺した後、同僚のドルドはウィズにそうぼやいた。そのドルドも自律歩行戦車の餌食になって、ただの肉片となった。
他に行く当てがなかったとはいえ何となく兵士になったウィズには、まだこの地獄を生き抜く覚悟がない。敵に囲まれ全滅必至の味方を見捨てる覚悟、瀕死の戦友を助けることを諦める覚悟。極限の状況下で、戦場のリアリズムが容赦なくウィズに襲いかかる。
■『戦士に愛を』は「かつてないほど戦場に近いコミック」
心理学的に人間は本来、「人を殺したくない」という基本的な感情があると言われているが、戦争はその心理に変調をきたし、兵士を狂気へ引きずり込む。言いようのない悲しみと不条理。ところがフィクションの世界では、そんな極限の状況がカタルシスに富んだドラマを生む。
私は本物の戦争を知らないが、ベトナム戦争時にアメリカ兵が感じたであろう虚無感を追体験しているような感覚だ。また、一方、フィールドでひたすら殺し殺されるFPSゲームをしているような高揚感もある。自分に危害は及ばないという安全圏から物語を楽しんでいるという点で、この作品に出てくる身勝手な人間たちと変わらないというのは何とも皮肉だが、死と隣り合わせの緊迫した状況だからこそ放つ生の圧倒的存在感から目が離せない。
ウィズはこの先、未来を手にすることができるのか、それとも戦地で命を落とすことになるのか。掃きだめのような世界で薄氷を踏み続ける兵士たちに、せめて幸あらんことを祈りつつ、ついページをめくってしまう。そんな魔性の面白さを秘めたマンガだ。
文=小松良介