「原爆とはなんだったのか」――アメリカ人の若者たちが徹底討論! 米国在住の日本人作家・小手鞠るいの新刊『ある晴れた夏の朝』

文芸・カルチャー

更新日:2018/8/24

『ある晴れた夏の朝』(小手鞠るい/偕成社)

 1945年8月6日、広島にウラニウム型原子爆弾「リトルボーイ」投下。同年8月9日、長崎にプルトニウム型原子爆弾「ファットマン」投下。同年8月15日、日本はポツダム宣言を受け入れて無条件降伏し、太平洋戦争は終結した。

 アメリカの2発の原爆投下によって多くの日本人が亡くなった。その死者数は1945年の1年間に限っても、広島で約14万人、長崎で約9万人とされている。どちらの街でも死者の大半は戦時下でつましい日々を送っていた一般市民だった。この悲劇を生み出した原爆投下を「正しかった」と肯定する日本人は少ないはずだ。しかし、アメリカでは多くの学校で「原爆投下は、戦争を終わらせるために必要だった」と教えられているという。その原爆に対する認識の隔たりは簡単には埋まるものではないだろう。小手鞠るいの新刊『ある晴れた夏の朝』(偕成社)は、そんな“原爆”に対する認識の違いから、改めて「原爆とはなんだったのか」という大きな問いに答えようとするヤングアダルト小説だ。

 2004年、15歳の夏。長い夏休みをどう過ごそうか迷っていた日系アメリカ人のメイは、ハイスクールの先輩からの思わぬ誘いを受けて公開討論会に参加することになった。テーマは「戦争と平和を考える」。広島と長崎への原爆投下をとりあげ、原爆の是非を問うという。4歳までは日本で過ごしたものの、すでに日本語も忘れて、日本という国に対する興味も失っていたメイ。とくに原爆について真剣に考えたこともなかったが、日系人ということで押し切られるように「原爆否定派」に立つことが決まってしまう。

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 討論会に参加するのは、メイを含めて8人。アイルランド系、中国系、ユダヤ系、アフリカ系など、さまざまなルーツを持つアメリカの高校生たちだ。それぞれ自分の考えをもとに肯定派と否定派のチームに分かれて全4回にわたってディベートを行い、観客たちの投票によって勝敗を決めるのである。公開討論会の第1回、最初に登壇したのは原爆肯定派のノーマンは、戦争を早く終わらせて犠牲者の数を減らすための戦略として原爆投下は正しかったと主張する。続いて原爆否定派から登壇するのはメイ。この日までひたすらに資料を読み込み、調べ物をして、否定派の仲間たちと発表のための作戦を練ってきた彼女は、ノーマンへの反対意見を述べる前に、日本の詩人で被爆者でもある峠三吉の詩を朗読する。ここからメイの人生を変えた、忘れられない夏が始まる――。

 戦争や原爆をモチーフにしたフィクションは数多くあるが、本作はアメリカ在住の日本人作家である小手鞠るいが“原爆投下についてアメリカ人はどう考えているのか”というテーマを物語の中心に置いていることが大きなポイントだ。原爆肯定派のアメリカ人の意見には、戦勝国の欺瞞を感じて戸惑うものもあれば、そういう視点もあるのかと考えさせられるものもあり、その認識の違いを改めて実感せずにはいられないだろう。討論形式で物語が進んでいくところもユニークで、肯定派と否定派のどちらかの視点からの説得力を感じる意見が、ばっさりと反証されたかと思えば、それがさらにまったく異なる視点からひっくり返されることもあり、どっちに転ぶかわからないディベートのスリリングな展開も本書の面白さのひとつだ。

 やがて、その論点は真珠湾攻撃、日中戦争、南京虐殺、日系アメリカ人強制収容、ナチスのホロコースト、米軍の日系人部隊、人種差別問題など、大きく広がっていく。アメリカ人の若者たちは、このディベートを通して知らなかったことを知り、原爆と戦争についてさらに深く考え、改めて向き合うことになる。日本人の読者もまた、本作を読み進む中で物語の登場人物たちと同じような体験をして、自分自身に「原爆とはなんだったのか」と問いかけることになるだろう。そして、異なる立場と意見を持つ者同士が議論を戦わせながら、その結論を真摯に受け入れて、希望ある未来を見出そうとする姿にもきっと心を打たれるはず。この夏、ぜひ多くの人に手に取ってほしい一冊だ。

文=橋富政彦