“復讐”をエネルギーにすると、嫌いなやつに会うことが“幸せの布石”になる――南海キャンディーズ・山里亮太インタビュー

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公開日:2018/8/11

 結成15年、“初”の単独ライブ。東京・東京グローブ座のシンプルな舞台、スポットライトの下に現れた、中年の男女コンビは、手を上げながら「どうも、南海キャンディーズです」と言って、決めポーズをとる。

 その瞬間、舞台が揺れるような拍手。二人の貫禄とあまりの格好よさに、私は拍手をしながら鳥肌がたった。冷静に見れば、けっこうダサいポーズ。中年の男女が、二人。他の人間がやれば痛くなりそうな光景が、南海キャンディーズの二人だと、途端に洒脱な舞台に様変わりする。

「それはね、僕らが歩んできた15年のストーリーがくっついてきて、だから格好良く見えてくるんだと思うんですよ」南海キャンディーズの山里亮太は、そう語る。

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 2004年にM-1準優勝し、一躍脚光をあびた南海キャンディーズ。それからお互いにピンの仕事を中心に活動してきた二人は、2015年から、「南海キャンディーズ第2章」と銘打ち、新たなスタートを切っていた。

 先日発売された山里亮太著の『天才はあきらめた』(朝日新聞出版)は、デビュー当時から不遇の時代、そして現在のしずちゃんとの関係に至るまでの半生を振り返りながら、山里の試行錯誤のあとを描いた書籍だ。12年前に発売された『天才になりたい』を大幅加筆修正したという形で出版されたものだが、そこには彼の恨みつらみが書かれたノートの現物写真や、しずちゃんと険悪だった時期について、多くページが割かれている。

 彼自身のストイックな生活の記録はもちろんのこと、途中で読むのをやめたくなる、山里がしてきた歴代相方へのひどい仕打ちなど、すべてを赤裸々に書いた当書籍。なぜ彼はそこまで自他共に厳しくなってしまったのか。そこには彼なりの、ある種ポジティブな哲学があった。

 第2章のスタートを切った南海キャンディーズ。はたして、現在の山里亮太の心の内はどのようなものなのだろうか。芸人としての努力の日々、そしてこれからの未来について、お話を伺った。

◆理想は『バック・トゥ・ザ・フューチャー2』のデロリアンなんですけど

――今回、12年前の書籍を加筆修正したという形で出版されましたが、書き直しながらご自身の価値観に変化などがあると感じる瞬間はありましたか。

山里亮太さん(以下、山里):変化はしていないですね。むしろ、当時もやもやとしていた考え方に、くっきりと輪郭がついた感じ。言語化によって整理できたから、読者の人が読みやすいように書く余裕もできました。12年前の自分と対話をしながら書き直しているような気分で、かなり大変だったんですけど楽しかったです。

――反響はどうですか?

山里:もうね、ずっとエゴサーチしてますよ。ありがたいことにすでにけっこう感想をいただけて。特に嬉しいなと思うのが、芸人とかではない一般の方が「嫌なことがあったときにラッキーだと思えるようになった」とか「これでサボらなくても済む」とかって言ってくれるとき。芸人以外の仕事の人たちにも自分ごととして受け止めてもらえているのが嬉しいな、って。

――たしかに、ここに書かれている内容って、芸人としての仕事論というよりは、山里さんならではの「努力の仕方」ですもんね。その努力のモチベーションが“復讐”なのが山里さんらしいな、というか(笑)。

山里:僕の理想は、『バック・トゥ・ザ・フューチャー2』のデロリアンなんです。ドクがゴミをガシャガシャって入れたら、それをエネルギーに動き回る。僕ってそんな状態だと思っているんですけど、いま。日頃の鬱憤を燃料にして生きている。

――そういう頑張り方って、疲れませんか。だって、嫌いな人たちや理不尽な言動を、スルーしないで真正面から受け止めるってことじゃないですか。

山里:いや、むしろ僕にとっては鬱憤や怒りをノートに書き込んでいるときの方が健康的なんですよ。それに、たとえば「こいつをいつか干してやるために頑張るぞ」って復讐をパワーにするとするでしょ? そうやって考えると、嫌いな人に出会うことも楽しいことへの布石にしかならないんです。楽しいことって努力の先に必ずあるじゃないですか。そのための努力の燃料が嫌いなやつ。これって、すごく健康的な循環じゃないですか?

◆酒飲んで悪口を言ってる時間は、相手にとってのウイニングラン

――嫌なことがあったときに、努力じゃなくて酒の場で愚痴る、という方法をとる人もいますよね。私も含めて、そういう人の方が多いような気がします。

山里:そういう発散のさせ方もありますよね。でも、酒飲んで愚痴ると、翌日には忘れちゃってたりするじゃないですか。それってもったいない。しかも、嫌なことがあった時間と、嫌なことを思い出しながら飲む時間で、嫌な人に2倍時間を費やしていることになるんですよ。

――言われてみたらたしかに。

山里:そいつの悪口を言うことで相手の体力が削られるとかならいいんですけどね(笑)。僕らがそうやってうじうじしている間、相手は僕らのことなんて考えてもいない。むしろその時間が相手のウイニングランになる。それがどうしても嫌なんです。嫌な思いをさせた相手が勝つって原理が。

――たしかに飲んで悪口を言ったところで、相手は痛くもかゆくもないですもんね。

山里:僕、自分の中でめちゃくちゃ「時間」の優先順位が高いんです。とにかく「時間を奪った・奪われた」という感覚がすごく強い。だから、相手に対しての不快な感情はいつまでも持ち続けるのではなく、パッと切り替える。それはノートに書きためることもひとつのスイッチになっています。酒を飲んで愚痴を言うより、家に帰って、ノートに恨みつらみを書いて、燃料をストックしていく。

 そうすると、分析もできて気づきもあるんですよ。「いまなんで自分は納得できていないんだろう」と考えると、だいたい最後は「いま、自分が努力してねえんだな」ってところに行き着く。

――相手ではなくて、自分の問題、と。

山里:嫉妬というのは、自分の努力に圧倒的に自信がないときに起こる感情なんだ、って気づいたんですよ。だからこそ、サボっているときにしている嫉妬は早く断ち切らないといけない。いまの自分は言うほど努力してないぞ、って自覚しないといけない。もしいまめちゃくちゃ(笑いの)公式作ったりネタ考えたりライブを成功させたりしていたら、たぶんネットニュースとかに対してこんな怒ってないなって。

――自分の努力に対して納得感があれば、相手のことは気にならないということですね。

山里:そう、だからこの努力の仕方って、「私って本当にダメだなあ」って、自分を卑下しやすい人には向いていると思いますよ。そう気づけているだけすごい。そうやって自分の能力を冷静に低く評価する力は、使い方次第ではいいエネルギーになって、目の前の人たちを余裕で倒せるかもしれない。ただ、その分の努力は必要なんですけどね。だって、ダメなんだから(笑)。

◆具体的な未来を見せてくれた片山マネージャー

――ちなみに、努力ってただがむしゃらにやっていても、目的地にたどり着けるわけではないですよね。そういう意味では、ゴールポイントの設定なども大事になってくるのかなと思うのですが。

山里:そうですね、そういう意味では初代マネージャーの片山さんの存在が本当に大きいんですよ。正直彼と会うまでは、理想の未来とか考えたことがなかった。目の前のことをやっていればいつか、テレビで活躍している芸人になれるとか、自分が大好きで聴いている伊集院さんのラジオのような番組がもてる、とか、そのくらいで。とりあえずいま頑張っているオーディションに受かれば、テレビの仕事が来るんだろうなあ、という漠然な感じだったんです。

――ひたすら目の前のハードルを越えていくことで、いつか輝かしい場所にたどり着くのだ、と。

山里:そうです。ほかの人に「こんだけ努力してるの!?」と驚かれるくらいにやっているのが芸能界の人たちだと思っていました。この業界にいると、すごい人たくさんいますしね。だからよくうちの相方とも「君がもらっているお給料は、ふつうの人間じゃ考えられない額をもらっているんだけど、その人たちに“そりゃそれくらいもらうわ”と言われるくらい努力してねえんだったら、そんなもん続くわけねえんだよ」って言ってよく喧嘩してました。

――正論ではある……。

山里:そう、しずちゃんも「それは正論なんだけど、じゃあどうすればいいの」ってよく言ってました。たしかにぼんやりはしていましたね。でも、M-1で決勝に進んだあと、片山さんがマネージャーについてからは大きく変わりました。片山さんが、50歳までのプランを考えて、それをよく僕らに話してくれるんですよ。「山里さんにはこういうポジションにいってほしいから、いまはこの勉強をしてほしい」とか「この時期には相方にはこういう形で幸せになってもらっているから、君一人でも不幸にならないように、僕はそこをすべて考えている」みたいな感じで。

――もはや人生設計のレベルですね。

山里:うん、一時期片山さん、しずちゃんとナインティナインの岡村さんを結婚させようとしてたから(笑)。

――片山さんのプランで特に印象に残っているものってありますか。

山里:一番印象に残っているのは、片山さんがマネージャーについたばかりのときですかね。僕らはM-1の決勝に進出した直後で、各所からすごい勢いでスケジュールをくださいという連絡が入っていて。当時全盛期だった某ネタ番組からも、隔週で仕事の予定が入っていたんです。しずちゃんと「俺らこれ出たらもうスターだよ。すげえ売れたな」って話してました。ただ、片山さんが担当になったら、そのネタ番組のスケジュール、ぜんぶ断っちゃったんですよ。

――ええ……?

山里:「あの番組、ぜんぶ断っちゃった」って言うから、さすがに驚いて。でも「いまあの番組でネタをやっている姿よりも、もっといい姿が見えている。戦略はあるから許してほしい」って言われて、片山さんがそう言うならわかりました、と。そしたら、翌々週くらいに『笑っていいとも!』もってきた。

――なるほど……ちょっと格好良すぎますね……。

山里:たしかに当時あのネタ番組に出られるのは人気者の証だった。でも片山さんにとって、「南海キャンディーズ」は、毎週1分だけネタをやって僕としずちゃんのキャラクターだけ抽出されるようなコンビじゃなかった。片山さんは本当に僕らに期待してくれていて、すごく嬉しかったしありがたかったですね。自分でわざわざ言うのも恥ずかしいんですけど、片山さんにはよく「南海キャンディーズはめちゃくちゃお洒落なコンビだ!」って褒められてましたもん。「ピチカート・ファイヴみたいだ!」って(笑)。

◆天才じゃないけど、どんな才能でも名前はつけられる

――『天才はあきらめた』を読んで感じたのが、そんな片山さんや歴代の相方たちにも才能があると期待されたり評価されたりしてきた経験があるのに、山里さんは自分のことを「天才じゃない」と言うことに対する違和感です。はたから見れば、芸人として成功しているように見えるわけですが、ちょっとでも「俺、天才かも」って思う瞬間はないんですか?

山里:思ってないし、思えないです。だって、僕、「努力をしている自分」に気づきながら、「でもしなきゃいけないことだ」って思って頑張っているんですよ。そうやって僕が頑張って公式を作って、分析して、面白いことを言えるように考えている一方で、酒の匂いをプンプンさせながらスタジオに入って、どっかんどっかん笑いをとって、またお酒を飲みに帰っていくような芸人がいる。公式なんて考えなくても身体に染み込んでいる人がいる。そもそも、僕がどう頑張って公式を考えてもたどり着けないような視点の持ち主がいる。あれができりゃなって羨ましく思うし、そういう人たちを目の当たりにしていたら、自分のことを天才だなんて思えないですよね。

――圧倒的な天才と同じ環境にいることで、いやでも自分との実力差が目についてしまうんですね。

山里:昔は自分もそういったジャンルの芸人になれるって甘い期待もあったから、卑屈になったりしてましたけどね。いまは、僕にはどうあがいても無理だと自覚しているし、努力賞でいいと割り切るようになりました。そしたらだいぶ気が楽になりましたよ。

――そういった圧倒的な天才を目の当たりにして、辞めていってしまう芸人さんも多いと思うのですが、それでも山里さんが一心不乱に頑張ってこられたのは、やっぱりお笑いや芸人という仕事に対する魅力からですか。

山里:その「魅力にとりつかれて」というのも天才のなせるワザなんですよね。僕はそれすらもできない。ただ、片山さんが時折聞かせてくれる未来の話とか、褒められた瞬間とか、お客さんの笑い声を聞いたときとか、親が喜んでくれたときとか、そういうのをすべて思い出して、サボったらこれがぜんぶ無くなってしまうって怖くなるんです。一種の強迫観念ですよね。

――自分が天才になれないことを自覚するよりも、そういった嬉しかった瞬間を失う方が山里さんにとっては怖いんですね。

山里:いま辞めちゃうともったいないし、もったいないと思うなら努力しないといけないし、このまま流されてダラダラやっていたら、いま持っているやつぜんぶ失うんだろうなあ……って思ったら、怖くなってガバッと起き上がる。ほんと、臆病なんです。サボらせようとするものや、慢心みたいなものから逃げ続けないといけない。

――ただ、そういう努力を続けられることはひとつの才能でもありますよね。ノートに書き込みながら、自分で分析して、試行錯誤して……

山里:それも自分の劣等感に通じる部分ではあるんですけど、天才ってしないじゃないですか、そういうこと。僕は公式に落とし込まないとできないんです。

――ただ、公式に落とし込むこと自体もけっこう難しくはないですか?

山里:ノートに書いている公式って、普段の生活であった、よかったなと思ったことや、ちょっとした発見をメモしているだけなんですよ。書いておかないと忘れるから。それを「公式化」っていう言葉にしているだけで、そこまで大げさな話でもないんです。「あのときの副詞の使い方はこうだったな……」とかを忘れないように書いているだけ。

――副詞レベルで考えるんですか。

山里:そう。副詞とか形容詞とか、なんかオリジナリティがある使い方だなと思ったときとか、「この副詞とこの形容詞をくっつけると斬新なことを言っているように聞こえる」とか。

――なるほど。それって、面倒くさくなったりはしませんか?

山里:全く。それをまとめているのがまた気持ちいいんですよ。自分がなんだかすごいことをやっているような気がしてきて(笑)。それが使えたときに自分のことを褒めたくなる。「ああ、あれ使えたな」って。

――習慣化してるんですね。

山里:以前、後輩に言われて嬉しかったのが、「山里さんは、引き出しにものを入れる作業をめちゃくちゃしていて、その引き出しを開けるスピードを鍛え続けているから、常人に比べて引き出しを開けるスピードが異様に速くなってる」っていう言葉。これ言われたのがすごく嬉しくて、僕一時期無双モードに入ってました。

――引き出し、ですか。

山里:僕、0から1を生み出せないことがコンプレックスなんですよ。何かを生み出す発想とか視点とかがない。だからとりあえず勉強して言葉を頭の中に入れていくしかない。そうやって自分の引き出しに言葉や表現をたくさん入れておいて、トークの場面でその引き出しを開けて、使う。この引き出しから言葉を出すスピードが異様に速いんだ、って後輩が言ったんですよね。だから他の人が言う前に、僕が発言できている。それ聞いたときに、ああ、僕には「開ける」という才能があるのか、って気づいたんです。僕は決して天才ではないけど、自分の才能に対して何かしら名づけることはできるんだな、って発見がありました。

◆相方に八つ当たりすることで、自分が成長しているって感じたかったんですよね。

――前著の『天才になりたい』から、大幅に加筆された部分として、相方しずちゃんとの関係がありますよね。あれを読むと、よくあの険悪な時期を経た二人が仲を戻せたな、と驚きました。お互いに言葉を交わさないというレベルではなくて、山里さんはしずちゃんを陥れようとしてましたよね。

山里:そう。不仲だったときは、テレビでしずちゃんに一文字もしゃべらせなかったりしてましたからね。そのために、台本を必ず三日前にもらって、相方のセリフ部分に線を引いて、完全に読み込んで、本番の流れを想定しながら、しずちゃんにしゃべる隙を与えないための話の振り方を考える。

――陰湿すぎるし、そのための熱量が異常ですね……。

山里:ただ、いま振り返って思うことなんですけど。それは完全に間違った努力の仕方で、当時の僕は、相方に対して嫉妬や怒りをぶつけることで自分が前に進んでいるって感じられていたんですよ。そういう勘違いをしていたやばい時期。それはしずちゃんだけではなく、歴代の相方たちに対しても同様ですね。

――自分の中では「当時の相方への怒りは勘違いだった」という消化の仕方をしているんですね。

山里:当時のスタイリストさんたちとか、いまでも僕のこと嫌いだと思いますよ。楽屋でしずちゃんとスタイリストさんやメイクさんがずっと服の話ばっかりしてるから、楽屋出るときに扉を思いっきりバタンって閉めたりして。メイクさんが一回「山里さんの態度が嫌なんですけど」って会社の人に相談したらしくて。ただ、あれは肯定する理由がひとつもなくて、本当にひどかったんですけど。

――ちなみに、当時解散したいと思ったことはなかったんですか。

山里:一回、ありましたよ。ボクシングやり始めのときかな。趣味でやっているのに、仕事に顔腫らしてくるようになって。それなのに相方はCM出て映画出て海外旅行に行って楽しそうにしている。耐えきれなくて、その頃のマネージャーに「解散したい」って言ったことはあります。

 よしもとはルミネの劇場も月に何本か出ないといけないんですけど、とにかく顔も合わせたくないから、「ノルマは俺一人でやります」って会社に直談判したくらい。そしたらさすがに怒られました。マネージャーさんからも「お願いだからそんなことは言わないでください」って。

――一歩間違えば解散の危機だったんですね……。ちなみに、そういう相方への嫉妬とか干渉って、家族や友人などほかの人にも表れるんですか。

山里:それがね、全くないんです。内弁慶だから、外面がいい。たちが悪いですよね。そうやって相方に対してめちゃくちゃな熱量をもってキレていると、自分の熱意が見せられていると錯覚しやすかったんです。本当はその時間を使ってネタを書けばよかったんですけどね。才能への絶対的な自信がないから、「自分はこんなに頑張っている」ってわかってもらいたかったんだと思います。いま振り返ると。

◆こんなに楽しい漫才ができる相方なんだ、って知れた「他力本願」

――解散をせず、世間話をできるくらいまでの仲に修復できたというのは、山里さんにとって人生初めての経験でもありますよね。それは、どうして実現できたと思いますか。

山里:やっぱり、相手が譲ってくれたからじゃないでしょうか……過去の犯罪をすべて見逃してくれた、みたいな感じで。僕がしてきた所業はすべて忘れてやるよ、って。あとはお互い歳を重ねたというのもあるし、しずちゃん自身の心境にも変化があったみたいで。オリンピックが終わったあとに「努力というのはしないといけないって気づいた」って言われたんです。「山ちゃんが言ってたのは正しかったんや」って。それまでは、本当にかたくなにやらなかったんで、僕の言ったこと。

――ちなみに今は相方に対して嫉妬や怒りなどを感じる瞬間はなくなったんですか。それとも、まだ顔を出す瞬間はありますか?

山里:いや、もう起こらないですね。先日初めての単独という、絶対に体験できないと思っていたことを体験できたんです。のびのびと好き勝手マイクの前でしゃべって、笑い声が起きる。コントも楽しかったし、そういうことを一緒にできる相方なんだなって思ってからは、より一層腹が立たなくなりました。まあしずちゃんは、「大人になったから仲良くなったみたいな空気出すけど、単純に自分に自信ついて余裕できただけやろ」って言ってくるんですけど。

――(笑)

山里:たしかに自分の好きなことばかりやってるから、というのはありますね。忙しい時期に「漫才の回数増やしてよ」とか言われたら、あれ?って思うかもしれないし……。だから今年のM-1も、しずちゃんは出たいらしいんですけど、どう逃げ切ろうかなって考えている感じ。

――出ないって決めてるんですか。

山里:んー、もうね、今年はいいかな、って。いや、わかるんですよ。いまM-1参加表明したら、めちゃくちゃ盛り上がるというのは。でも、そこがマックスな気がするんですよね。あとは、そこから引くに引けない状況で時間をやりくりして、また準決勝で負けるという嫌なパターン。自分よりも10とか20とか下の子たちが頑張っている場で、40の僕らが頑張った挙句負けているっていうのも、健康的じゃないしね。

 あとはもう、2~4分の漫才に自分たちが向いてないっていうのはわかっているから。それに時間とられるくらいなら、10分とか15分の漫才ができる場所を作って、そこに向けて話し合いとか稽古をした方がいいなあと思って。自分が好きな時間の漫才をしたいな、って。それは「他力本願」をやって気づいたことなんですよ。あのライブがなかったらそういう発想にはならなかった。相方も、そういうことならって許してくれてます。まあ、マネージャー越しに、まだ納得しきれてないみたいな話は聞こえてくるんですけどね。

取材・文=園田菜々 撮影=山本哲也