「読書」は現代社会に対する「復讐」? コラムニスト・山崎まどかが綴る、愛おしい本にまつわる記憶
公開日:2018/8/10
パソコンやスマホを手にしていれば、さまざまな情報が向こうからやってくる便利な現代社会。情報も写真もスイーツもシェアするのが当たり前。しかし、たとえシェアできたとしても、自分の感じた喜びを他人と分かち合うのは難しい。読書の喜びがそのひとつだ。いまの自分の心に刺さった一文が、他者の心にも刺さるとは限らない。けれども私たちが本を読み漁るのは、そういう一文に出合うためではないだろうか。
本書『優雅な読書が最高の復讐である―山崎まどか書評エッセイ集』(山崎まどか/DU BOOKS)は、女子文化や映画、文学などに詳しいコラムニスト・山崎まどか氏の書評やエッセイをまとめたもの。取り上げられている書籍は、ウラジーミル・ナボコフの『ロリータ』に始まり、村上春樹の短編やモンゴメリの『青い城』などなど、洋書が多めのラインナップが印象的だ。
打ち明けてしまうと、私はそれらの書評が読んでみたくて本書を手に取った。そして本稿でも書評の紹介をしたいと思っていたのだが、途中で認識を改めた。書評だけではもったいない。むしろ著者自身のことが綴られているエッセイにこそ、紹介する価値があるのでは、と感じた。
たとえば、著者・山崎まどか氏が「本を読むのと同じくらい、本を読んでいる人を眺めるのが大好き」と語るエッセイ「ユー・アー・ホワット・ユー・リード」。本に没頭している人はみんな素敵という持論からして、この人は本当に本が好きなのだとよくわかる。そして話題は、ニューヨークの地下鉄で本を読む人たちの写真サイトへ展開。最後は偶然(?)同じ本『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を読んでいた若い男女の出会いのエピソードに。2ページほどの短い文章だが、これほど読後感が爽やかなエッセイはなかなかない。
著者が駆け出しのフリーライターだった当時、仕事もお金もなかったが時間だけはあったという。その時間の大半を古本屋と中古レコード屋で過ごした。見つけた本を夢中になって読み、気が付くと外は暗くなっている。みんな働いているのに、自分は一人で何をやっているのだろうと情けない気持ちになった――。このように当時を振り返る著者だが、そのすぐ後で次のように綴っている。
「もっと今を楽しめばいい。そんな風に孤独で自由な時間は二度と持てないのだから。今は、二十代の私にそう言いたい。一人で本を探し、本を読み、レコードや映画を楽しんだ時間が書き手としての私を作った」
こんなにも温かい励ましの言葉があるだろうか。私は大学時代、アルバイト代の多くを本と音楽と映画に費やした。これらの趣味は、いまでも私の人生にとって大部分を占める大切な要素だ。が、お金と時間の使い道は、ほかにもあったのではないかと思うことも度々あった。それだけに、こうして力強く宣言されているのを読むと、これも間違いではなかったのだと感じられる。大学時代の閉鎖的な娯楽がいまの私を作ったのだと。
ところで、タイトルにある「優雅な読書」とは何なのか。「最高の復讐」とは何に対するものなのか。その答えがあとがきに綴られている。世の中には人生の役に立つブックガイドのような本が沢山ある。しかし山崎氏の書いていることは実生活の足しにはならない。そういう文章を読むことが贅沢=優雅なのだという。
では「復讐」とは? 家でじっとしていてもコンテンツや情報が次から次へとやってくる便利で素晴らしい世の中で、本を読むことによって世間の流れから外れて自由になった気分を味わうこと。何でもシェアが基本の現代で、読書という自分勝手な楽しみに浸ること。ただ楽しいだけの読書は、便利な現代社会に対する素敵な復讐なのである。
文=上原純(Office Ti+)