残業200時間超えの編集者がたどり着いた、忙しい日々に殺されないための方法
公開日:2018/8/31
仕事がつまらない。あした会社に行きたくない。多くの労働者たちが仕事に対してこういった感情を持ち、苦しい思いをしているだろう。もちろん、「生きること=働くこと」と捉え、実際にそのように働いている人もいるだろうが、それが実現できている人は少ない。
世の中の大半の人間にとって、労働とは生きるための手段であり、それ自体が目的ではないはずだ。だからこそ、労働にはさまざまな「苦しみ」が生まれるのだが、本書『労働者のための漫画の描き方教室』(川崎昌平/春秋社)は、それを“マンガとして表現する”ことで乗り越える方法を提案している。
著者の川崎昌平氏は、自身も出版社で編集者をする傍ら、弱小出版社のリアルを描いた『重版未定』(河出書房新社)などを発表している。忙しいときには月200時間を超える残業をしていたというが、マンガ表現を通して自分の抱える思いや考えを吐き出すことで、心が折れそうになる瞬間がグッと減ったのだとか。なぜ、表現が自分を救うことになるのだろうか。
■表現とは、あなたの思考とその記録である。
私たちは、現実に負けるわけにはいかない。過重労働を強いるブラック企業にも、パワハラをやめない上司にも、「やりたいこと」ができない苦悩にも…。著者は、「表現とは思考のための道具である」と語る。自分の労働について表現するならば、「なぜ、自分は労働するのだろう?」というように、私たちは労働について見つめ直し、思考することになる。
その思考は、つらい現実を再解釈し、徒労に満ちた日常を意義のあるものに変えてくれる。さらに、そうした思考を表現として残すことは、反省の材料や、発見のヒント、破壊の武器になる。すなわち、表現とは、思考とその記録であり、それによって私たちは現実と戦うことができるのだ。
■なぜ、マンガなのか?
表現の方法は、マンガ以外にもたくさんある。だが、著者はいくつかの理由でマンガをすすめている。ひとつは、マンガがあまり時間をかけなくてもできる表現だからだ。もちろん、デビューを目指して出版社に持ち込む原稿を描くなら話は別だが、個人で数ページのマンガを発表するくらいなら、仕事の合間にやっている人が既にたくさんいる。
もうひとつは、マンガには、他者と共有するための環境が整っていることだ。ツイッターやピクシブをはじめとしたネットサービスや、コミケなどの同人誌即売会のように、マンガは他人に見てもらえるチャンスがいくらでもある。著者によれば、表現をするだけでなく、それを他人に伝えることも重要なのだという。思考を他者に公開することで、それが認められたり、批判されたりする。それによって、思考が独りよがりのものにならず、より磨かれるのだ。
表現することは、アーティストなど“特別な存在”にしかできないことのように思える。だが、どこにでもいる普通の労働者にも、表現によってつらい現実と向き合う権利はある。本書を読み、表現を自分の生活の中に取り入れてみてはいかがだろうか。
文=中川 凌